この境内に、いつの時代からあるのか定かではないのだが、「加頭(かとう)地蔵尊」というお地蔵さまが鎮座している。“加頭”の意味は、壊れてしまった頭をつないであることから、この名となったのだとか。“首がつながる”との噂が広がり、多くのサラリーマンたちが足を運んできたらしい。
ちなみに、たぬき=他抜きと読めることから、「鎮護堂」は出世祈願や芸や技術の上達祈願場所としても知られている。お地蔵さまとおたぬきさまの二重のご利益があるということなのかもしれない。
●自分で首を探したお地蔵さま
練馬・南蔵院の境内に「首つぎ地蔵尊」が鎮座している。別の場所のお堂に祭られていたお堂が、2014年にこの場所へ移動してきたのだが、以前は前掛けや着物などが着せられていたため、首つぎがよくわからなかった。いまははっきりその継ぎ目が見て取れる。
「首つぎ地蔵尊」が誕生したのは昭和初期のこと。
護国寺の経を読む会で「野原の中に立つ首のない地蔵の夢を2晩続けて見た」という男性の話聞いた人が「練馬の野原の中にそのような地蔵がある」と答えた。すると同席していた女性が、「私のところに知り合いが持ち込んだ、新宿で拾ったという地蔵の頭がある」と申し出た。ためしに継いでみると、これがぴったりと合うではないか。
地蔵が自分で頭を探し出したというこの話は、大きく広まり「中村橋首接地蔵尊」として大変な人気となった。当時は雑木林だけだった場所にお堂が建ち、茶屋までできた。
以来、「首をつなぐ地蔵」は不況の時代にあっては「リストラ防止」地蔵として多くの参拝者を集めてきた。
ちなみに、この内容は昭和9年の「東京朝日新聞」(現・朝日新聞)の記事を参考にさせていただいた。80余年後、この場所でご紹介することも感慨深い。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)