この事件は被告人である教師が立場を利用して生徒にイタズラしたようなものではなく、二人の間には恋愛感情があったと弁護人は言いたいのだろうか?
「……被害者には130万円の示談金が支払われております。また、被告人は今後一切、被害者に接触しないと誓約もしております」
すでに示談が成立している。被告人は懲戒免職処分になり学校を去る。弁護人の発言の意味は、たぶんそういうこと。いったい何をやらかしたんだ、この教師。
「それでは、証人の方は証言台に出てください」
裁判長に声をかけられ、傍聴席最前列にいた被告人の妻が立ち上がった。初公判を見逃したぼくは、妻の発言から事件の概略を知るべくペンを持ち、耳を澄ませて準備完了……と思ったときだ。エエ、エエと、不協和音みたいなサウンドが法廷内に響き始めた。何だろうと顔を上げたら……。被告人が泣いていた。
いや、懸命に泣こうとしていた。この場面では絶対に涙を流してみせると決めていたかのように、気持ちを集中している。法廷で泣く被告人はめずらしくないし、証人尋問で身内にかばわれ、感極まる光景もたくさん見てきた。だが、その多くは証言が始まってからのこと。徐々に気持ちが高ぶっていくのが一般的だ。
早いのである。生徒と何か怪しい関係になって妻を悲しませたこと、職を失ったこと、よりによって法廷に引っ張り出されたこと。泣く材料はそれなりにあるだろうが、あせるなと言いたい。いまから飛ばして息切れしないか心配だ。
が、じっと見ていると涙がこぼれた形跡がない。ポケットから取り出したハンカチでしきりに目を拭っているが、わざとらしさは否めない。声だけで泣くタイプ……、そんなことはないよな。罪の意識から証言台の妻を正視できず、といって冷静に聞いているのでは開き直った印象を与える。ではどうすればいいかと考えた末に選択したのが、とにかく泣きまくるという手段なのではと疑念が深まる。