「オーディションにはもう1人、すぐれたシンガーが参加していました。宇徳敬子さんです。2人とも同時に採用するわけにはいかないので、坂井さんは別のプロジェクトをやれないかと考えました。それがZARDです。ちなみに宇徳さんは、後にB.B.クイーンズのコーラスとして、同時にMi-Keのリードボーカルとして活躍しました」
長戸氏はさっそくZARDの制作をスタートし、1991年2月10日、「Good-bye My Loneliness」でデビューさせた。坂井さん自身が作詞。詞の元ネタは「涙くんさよなら」だったというこのナンバーは、フジテレビ系のドラマ『結婚の理想と現実』の主題歌に採用された。
長戸氏はデビュー時から最後まで坂井さんに対し、決めたコンセプトを変えなかった。
「プロデューサーとして坂井さんに求めたのは“平成に生きる昭和の女”です。昭和の中盤から後半にかけて、歌謡曲やJポップで歌われ続けた、愛する男性の夢のためには身を引く女性です。それを前提に、髪型やファッションを考えました。流行は追わず、基本ノーメイクで、イヤリングもめったにせず、眉も整えませんでした。髪型も変えず、そのコンセプトを最後まで変えなかったことが、数多くの大ヒットを生み続けたと感じています」
坂井泉水の存在は、リスナーにとっては謎の領域が多かった。
テレビでの露出は少なく、ライブもあまりやらず、一時は「実在しないのではないか?」という都市伝説まで生まれたほど。
長戸氏自身、坂井さんについてもっとも印象的だった出来事がある。
「人に紹介するきっかけがあり、ちょうどレコーディングに来ていた坂井さんを連れて行ったのですが、相手や周囲に全く気付かれなかったのです。このようなことは案外ありました」
結果的にそれがレア性をもたらしたが、露出が極端に少なかった大きな理由は、彼女の体調が不安定だったことだという。
「テレビ出演やライブのスケジュール調整が困難でした。2004年に初めて行ったツアー、『What a beautiful moment Tour』の再追加公演ではフェスティバルホール(大阪)の開演直前に、体調不良でバックステージの化粧室から出られなくなりました。遅れてステージに現れ、1曲目の2コーラス目から歌っています」
だからこそ、長戸氏をはじめスタッフは、坂井さんがシンガー・ソングライターとして、100%の力を発揮できる、リラックスできる環境整備を意識した。