「ZARDのスタッフは、坂井さんが自然体でいられるように、デビュー時から、ベテランではなく、当時の若手ディレクターやエンジニアやデザイナーなどを選びました。環境もできるだけ、彼女が自然体でいられるように努めています。たとえばレコーディングの歌入れでは、ガラス張りのヴォーカル録音ブースをカーテンで隠しました。一人にしてあげることで、彼女が表情を気にせずに歌えるからです。楽曲のサビ部分の歌唱で口を最大限開いても周囲の目を意識しなくてすむように、と」
こうして生まれたZARDの曲の大ヒットは誰もが知る通りだ。
1993年には「負けないで」(165万枚)、「揺れる想い」(140万枚)が、1996年には「マイ フレンド」(100万枚)がミリオンセラーとなった。アルバムもなんと9枚がミリオンセラーに。
『ZARD BEST The Single Collection ~軌跡~』(1999年) 303.4万枚
『揺れる想い』(1993年) 223.9万枚
『ZARD BLEND ~SUN&STONE~』(1997年) 200.5万枚
『OH MY LOVE』(1994年) 200.2万枚
『forever you』(1995年) 177.4万枚
『TODAY IS ANOTHER DAY』(1996年) 165.5万枚
『ZARD BEST ~Request Memorial~』(1999年) 149.6万枚
『永遠』(1999年) 114.9万枚
『HOLD ME』(1992年) 106.5万枚
このように、坂井さんは1990年代の日本でもっともCDが売れた女性シンガーの1人となる。1990年代に限れば、ユーミンよりも、ドリカムよりも安室奈美恵よりも多くのCDが売れた。
坂井さんが歌詞を書く作品はどこが突出していたのだろう――。
「メロディーへの歌詞のはめ方に才能を感じました。作曲家が作ったデモテープの音源を聴いて、そのメロディーが何を歌っているように聴こえるのかを彼女は常に意識していました。だからこそ、思いついた言葉をいつもノートに書き留めていたのです。ZARDはサビのアタマの言葉がタイトルになっている曲が多く、その部分の言葉とメロディーの一体感は特に素晴らしかった。歌詞の傾向としては、主人公がいて、恋愛対象の男の子がいる。彼は、ちょっとはにかみ屋で、いつまでも少年の瞳……夢を持ち続けている。そして、主人公は彼を応援し続ける。彼の夢のために自分は身を引く。そういう物語が多かった」
絶え間なく言葉が生まれるようにと、坂井さんは文学に触れ、映画を観た。