なんという矛盾。なんという不条理。エネルギーを確保するために甚大なエネルギーを費やしたのだ。

 あの時も、同じ言葉が浮かんだ。「徒労」。

 無駄遣いはいけません。

 我々は子供の頃からそうしつけられたはずである。ある年代以上の人は、「もったいない」という言葉も染み付いているはずだ。「モッタイナイ」を世界共通語に、なんてどこかの偉い人も言っていたのではなかったか。

 それを言うなら、戦争くらい最悪な「無駄遣い」はない。燃料、建材、人材、時間。それら莫大な資源が費やされているのは、敵を倒す――即ち、破壊と殺戮(さつりく)というなんら生産性のない目的のためなのだ。家計ならばありえない話が、国家規模ならまかりとおってしまう、というなんともめちゃくちゃな話である。

 日本でも最悪の原発事故が起きた。未だ、あまりの高濃度の放射能のため、事故現場に入ることすらできない。いっこうに進まない事故処理の報道を目にするたびに、なぜか最近しきりに思い出されるのは1999年9月30日の東海村での臨界事故なのだった。

「バケツでウラン溶液を混ぜる」という、本来安全のために必要な手順をすっとばし、正規の作業を思いっきり端折(はしよ)ったために起きたあの事故、日本シリーズの中継途中に速報でニュースが入ったことをよく覚えている。午前中に起きた事故なのに、速報はナイターの時間。被曝した作業員を運び出すために、何が起きているのかを知らせずに救急車を呼び、救急隊員に二次被曝をさせたというのも強く印象に残っている。あの時、頭に『10月1日では遅すぎる』という名作SFのタイトルが浮かんだことも。

「青い光を見た」という二人が急性放射線障害で亡くなった。その実態は凄まじい。当時の医療関係者が証言しているドキュメンタリーを観たことがあるが、染色体が破壊されたため細胞が再生されず、臓器や筋肉の入った人間という「袋」が維持できない状態で、最後のほうは、皮膚を覆って「袋」を保つのが精一杯だったという。手を尽くしたものの治療方法がなくなり、1人は事故から83日目、もう1人は211日目に多臓器不全で亡くなった。「人命軽視もはなはだしい」と治療に携わった医師が怒りを露(あらわ)にしていたことを思い出す。

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