2016年11月25日。その夜、私はキューバ北部のリゾート地バラデロで、伝説のバンド「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」のライブを堪能していた。夢心地でホテルの部屋に戻った午前零時半すぎ、携帯電話が鳴る。
「カストロ氏死去と今、速報が入ったよ!」
それは、カストロ前国家評議会議長の死を知らせる、日本からのメールだった。
1959年、チェ・ゲバラと共に親米のバチスタ政権を倒し、キューバ革命を成し遂げたフィデル・カストロ。反米姿勢をあらわにして旧ソ連との関係を深め、1962年にはあわや米ソ核戦争かと世界中が震撼(しんかん)した「キューバ危機」の舞台にもなった。医療と教育が無料の国をつくり、質素と勤勉を愛し、国民から絶対的な信頼を得ていた。
キューバという社会主義国が急激に資本主義化していると耳にし、「フィデルが生きているうちに行かなくちゃ」と気軽に選んだバカンス先で、まさか訃報に接するとは。キューバの歴史的瞬間を目の当たりにした以上、現地の人、特に首都ハバナで市民の本音を聞いてみたい。居ても立ってもいられなくなった私は、2日前まで滞在していたハバナに戻るため、午前6時発のタクシーを予約した。
26日午前8時すぎ、タクシーがハバナに到着した。中心部は穏やかで、泣き叫ぶ人や花を手に集まる市民というようなシーンはなかった。ド派手なクラシックカーのタクシーが、いつものようにホテルの前で客待ちをしていた。
今回の滞在でお世話になっている20代の友人が車を回してくれた。さっそく革命広場に行ってみると、キューバ人が十数人、たなびく半旗を無言で見つめていた。
60代の女性は「フィデルはずっと国民のためにがんばってきてくれた」と言葉を絞り出した。「彼は白人だけど、私たちのような黒人も気遣ってくれた。平等の国を作ってくれたのよ」。
「何かあると市民が集う」と聞いていた中央広場や、土産物屋が並ぶオビスポ通りにも行ってみたが、私が訪れた数日前と同じ表情だった。気温が25度を超え、暑さが増す。亜熱帯のキューバでは11月は乾期だ。強い日差しが目に肌に痛い。
車に戻ると、友人が静かに話し出した。
「俺も家族も、フィデルが大好きな『フィデリスタ』なんだ。この国では学費も医療費もタダ。食料の配給制度もできた。みんなフィデルを心から尊敬してるよ」
でも今、フィデルが目指した理想の社会は急速に変容している。アメリカの経済制裁とソ連の崩壊などで、90年代以降キューバ経済は激しく落ち込んだ。2008年に議長の座を受け継いだ弟のラウル氏は、市場主義経済の一部導入に踏み切った。