フィデリスタを自称する友人だって、アメリカのブランド「トミー・ヒルフィガー」のポロシャツを着ている。ホームステイ先の女の子が私に手渡してくれたのは、ハーシーのキスチョコだ。親類縁者が隣の超大国へ出稼ぎに行き、豊かな生活をどんどん「輸入」している。
28日午前9時からホセ・マルティ記念館で記帳が始まると聞き、8時半ごろに向かうと、近くの革命広場にはすでに1000人以上の人が集まっていた。付近の通りも人で埋め尽くされている。このままだと、記帳まで何時間かかるかわからない。夕方ごろに、もう一度出直すことにした。
友人が発売前の共産党機関誌「グランマ」を手に入れてくれた。普段は赤で印刷される一面の題字が、26日付紙面ではモノクロだった。ありし日の戦闘服姿のカストロ氏の写真と、革命の合言葉「Hasta la victoria siempre(常に勝利に向かって)」というフレーズ。「フィデル!」と呼びかけた大見出しから、キューバ国民の慟哭(どうこく)が聞こえてきそうだった。
午後6時半過ぎ。再び訪れた革命広場には、老若男女が黙って並び続けていた。午前中に比べて若干減ったが、それでも列の先頭も最後尾も見えない。疲労が極限に達したのか、倒れ込んだ女性を赤十字の職員が担架で運んでいた。陽気でおしゃべりなはずのキューバ人が、ただただ沈鬱(ちんうつ)な表情で立っていた。
不謹慎な話だが、私はもっとドラマチックな場面を期待していた。しかし実際には、沈黙が街を包み、静かな悲しみに暮れていた。フィデルは長く病床にあり、死はある程度予想できた。だから皆、静かに喪に服しているのか。
「そうじゃない」と友人は言った。「みんな、いつかフィデルは逝ってしまうとわかっていた。90歳だしね。でもこんなに急だとは思わなかった」そしてこう加えた。「いざ現実となると、受け入れがたい。どうしていいかわからない。それがみんなの本音だと思う」。
今、日本で、世界で、国民にこれほどまで思いを寄せられている指導者がいるだろうか。物は不足し、道路は穴だらけでガタガタ、水道水を飲むことすらためらってしまうような国だが、絶対的な精神的支柱がいた。なんだかうらやましくなった。
「フィデルが死んで、この国はどうなると思う?」
友人に、あえて聞いてみた。
「フィデルへの喪失感はこれから深まっていく。でも乗り越えて、変わらなきゃって思ってるよ」
そしてこう続けた。「フィデリストでありながら、豊かな生活に憧れる若い世代が、どうやってこの国をつくっていくか。まだわからないけれど、まあ見ててよ」
(ライター・新井晴)