ケルト人の信仰は自然崇拝で、万物に神がやどると考える日本人の信仰ととてもよく似ている。そのケルト人が秋に催していた「Samhain(サワン)」という収穫祭りが、実はハロウィーンの原型のようだ。Samhainの日は、あの世とこの世の境目がなくなり、死者が墓からよみがえる日とされ、亡霊たちが自分の家に戻ると信じられていた。このため各家では、死者のために食べ物を用意し、また亡霊たちに連れていかれないように自らも死者の仮装をすることで、生者である身を隠した。これがハロウィーンで仮装をする理由なのだ。日本各地に残っている、神の前で仮装をして舞ってみせる祭に似ていなくもない。
●地獄にも天国にもいけないジャックの哀れ
このSamhainがキリスト教の万聖節(All-hallow)の前の日に取り入れられたことで、「All-hallow-even」となり、それを略してHalloweenとなった。また、ハロウィーンにつきもののかぼちゃのオバケだが、これもまたアイルランドの民話から誕生したもので、もともとの「ジャック・オー・ランタン」は、蕪(かぶ)やじゃがいも、ビートなどで作られていたものだった。この話がアメリカに渡った時、人々はもっと手近にあったかぼちゃを使うことにしたらしい。
地獄にも天国にも行くことができないジャックが、悪魔から恵んでもらった鬼火を持って、この世をさまよっている姿が「ジャック・オー・ランタン」の意味するところなのだが、当初の蕪に刻まれたのオー・ランタンの恐ろしい顔に比べると、かぼちゃ製はどことなく愛嬌がある。
亡霊から逃れるための仮装も同様に、アメリカ人の手にかかると、何でも陽気になってしまうようだ。
さて、アメリカ経由で日本へ入ってきたハロウィーンには、亡霊の不気味さも、ジャックの悲壮感もまったく感じられない。仮装して大騒ぎするだけの1日と化しているようで、その騒ぎっぷりに嫌悪すら感じる人もいるだろう。だが、実は面白いことに、ここ数年、日本各地のお寺では、子ども会などを相手に、「お寺 de ハロウィーン」などと表して、小さな催しを開いているところが増えてきている。
ケルトのSamhainというお祭りの本質を考えれば、お寺で死者をもてなすという日本のお盆行事と通じるところがある。偶然の一致かもしれないが、日本にしては珍しくまっとうなイベントとして伝わっているものだと、実は感心しているところである。(文・写真:『東京のパワースポットを歩く』・鈴子)