こう話す太田が「20年東京五輪のためにも」と今回狙っていたのは、団体戦の出場と連続メダルの獲得だった。東京五輪は今までの順番でいけば、男子フルーレと女子エペの団体戦が実施されない予定だ。そんな大会でフェンシングを強くアピールするためには、選手個人がランキングを上位にあげて複数名で出場権を取らなければいけない。それを実現させるキッカケにするためにも、リオ五輪には団体戦で出場して世界のジュニア界で実績を上げている若手に経験を積ませたかったのだ。
ところが2月のワールドカップで6位に終わり、フェレール団体でのリオ五輪出場の道が途絶えることが濃厚になった。それからは、「気持ちの調整が難しかった」と太田は言う。挑戦する意識だけだった北京、団体戦でメダルという大きな目標を掲げて臨んだロンドンとは違う、どこか燃えきれない状態。そんな複雑な気持ちが生み出してしまった初戦敗退という結果だった。(文・折山淑美)