また、彼女には精神的な優位性を感じている存在もいる。伊吹という、幼なじみの男の子である。小学生の頃は小さくて目立たなかった彼は中学生になると背も伸びて、今では人気者だ。が、結佳が内心<幸せさん>と呼び小ばかにするほど善良で人の悪意に鈍感な彼は、ずっと結佳に素直で従順である。小学生の頃に彼女が性的な衝動に駆られて彼にキスをして以降、彼を自分の<おもちゃ>扱いする関係は中学生になっても秘密裏に続いている。こうした少女の中の性への目覚めは著者のデビュー作「授乳」から提示されているテーマでもある。
つまり本作は、開発が中断し停滞している街、優劣関係に支配される教室、性的欲求をコントロールできない肉体に閉じ込められた精神といった、どれをとっても狭苦しい箱の中に閉じ込められた少女の物語なのである。
やがて結佳は、地味な信子ちゃんに対してある畏敬の念を抱くのだが、三島賞受賞時にインタビューをした際、著者は「信子ちゃんのシーンを書いた時、ああ、自分はこの場面をずっと書きたかったんだと思いました。教室の中とはまた違う価値観の言葉を再発見する姿が書きたかったんだ、って」と語ってくれた。
それはまさに、著者の新境地だった。というのも、デビュー作「授乳」も含め、それまでは少女が妄想や空想で独自の世界を築き、それが崩れる瞬間までを描いた作品が多かったからだ。『ハコブネ』(集英社)あたりで世界を大らかに肯定する人物が登場するが、本作の結佳も自分の外側に新たな価値観を見つけ、一歩を踏み出していく。伊吹との関係も、また大きく変わっていくのだ。本作は切実で現実的な成長小説でもあり初恋小説でもあると言えるのだ。
自分に対しても他人に対しても開かれていく人物を、自分が知っている街、自分が体験した小中学生時代を元にして書いたことは、作家としてのターニングポイントとなったと言っても過言ではないだろう。以降、作品世界をぐんぐんと広げ、『殺人出産』(講談社)や『消滅世界』(河出書房新社)といった近未来の設定で現代社会の常識を疑う作品を上梓したのも、そして今回『コンビニ人間』で自分の人生を最終的には力強く肯定する人物を書けたのも、この『しろいろの街の、その骨の体温の』という作品がスプリングボードとなったからだと思えてならない。村田作品を語る時に、絶対に欠かせない一冊なのである。(ライター・瀧井朝世)