●2013年からはチームの中心に、15年は世界選手権でメダル獲得
ロンドン五輪後に、また大幅にメンバーの入れ替えがあり、ロンドンのメンバーで残留したのは畠山と松原梨恵の2人だけだった。そして、この2人が引っ張る形で、フェアリージャパンPOLAは「さらなる高み」を目指すのだが、10代の選手が多く、ぐっと若返ったチームは、やや停滞期に入る。
世界選手権での成績は、13年、14年と団体総合8位。メダルどころか、一歩間違えれば決勝進出も逃しかねないところに甘んじる時期が続いた。この停滞は、選手の若さによるものだけでなく、フェアリージャパンの演技の質の変化を物語ってもいる。
ロシアの指導を受け始めた当初は、それまでの日本選手に欠けがちだった「美しさ」「表現力」「難度をやりきる」などの基礎的な部分が優先されてきたように思う。そのため、日本代表とはいっても、国内のトップチームに比べてフェアリーの演技構成が特別難しくは見えないという逆転現象も起きていた。
しかし、畠山、松原などは13年の時点で、ロシアでの指導を受け始めて3年が経っていた。新しくメンバー入りした選手たちも、「フェアリージャパンに求められるもの」がすでに熟知されてきた中で、育ってきた世代だ。フェアリージャパンの演技は、ロンドン以前よりも着実に難しくなってきていた。「さらなる高み」を目指すためにはそれは不可欠なことだった。
それだけに、試合本番で最高の1本を出すことは困難だった。それが、「停滞」に見えてしまった時期もある。が、2015年、五輪出場権を懸けたもっとも大切な世界選手権で、フェアリージャパンは、それまで培ってきた力を、大舞台で発揮してみせた。
団体総合5位。さらに、種目別決勝のリボンでは、3位となり日本にとっては42年ぶりのメダルを獲得したのだ。