●いきなりレギュラーメンバー入り ロンドン五輪にも出場!
しかし、結果的にはその「自信のなさ」がよかったのかもしれない、とその後の彼女を見ていると思う。フェアリージャパンはこのオーディションの直後からロシアでの長期合宿に入った。日本とはまったく違う価値観のロシア流の指導に畠山の素直さ、明るさがぴたっとはまった。10年からフェアリージャパンはロシアに練習場所を置き、ワールドカップを転戦するという強化策をとっていくが、当時のメンバーの中では年少にもかかわらず、畠山はほぼレギュラーメンバーから外れない存在になった。
身長も高く、天性の華やかさをもった畠山の弾ける笑顔は、ロシアの指導陣が求める「ドラマチックで華やかな演技」には欠かせないものだった。さらに、いつも笑顔を絶やさない明るさの一方で、「ここでやるしかない!」という意志の強さも畠山が持ち合わせていたのは、中学時代に思うような結果を残せていなかったことの影響があったのかもしれない。
畠山の加入後、フェアリージャパンの世界選手権での成績は、団体総合で10年6位、11年6位と着実にあがっていった。12年のロンドン五輪でも決勝進出を果たし、7位。決勝進出を逃した2008年の北京五輪のことを思えば上出来だったがそれでも「悔しい」と思えるところまでフェアリージャパンは来ていた。