しかし実際に丙午生まれの人に聞いてみると「その年代では相対的には少なかったものの、近年の少子化世代と比べると実感としては多かったと思う。受験に関しても、前の年の浪人が参加するので、楽という実感はなかった」と反発する。だが「丙午に生まれバブル期に青春を謳歌(おうか)した」というレッテルは、この世代にはついてまわる。この日の出演者たちも同じ経験があるはずだ。
彼らが成長した時代は、テレビの音楽番組全盛期とそのまま重なる。「夜のヒットスタジオ」、「紅白歌のベストテン」などが軒並み高視聴率を記録し、「日本歌謡大賞」、「日本レコード大賞」、「紅白歌合戦」などに選ばれるかどうかで、その歌手の芸能界における次年度のステイタスは半ば確定したようなものだった。
1978年1月には“今、ヒットしている日本の歌を10位から1位まで本人が生放送で歌唱する”画期的な番組「ザ・ベストテン」がスタート。ロック系もフォーク系も演歌系もアイドルも、“売れているから”という理由ひとつで一か所に集められた。
80年は山口百恵が引退し、松田聖子がデビューしたアイドル・ポップス史上最重要の1年であり、空前の盛り上がりを示した漫才ブームではビートたけしとビートきよしのコンビ“ツービート”がブラウン管から毒舌を吐き出した。YMOことイエロー・マジック・オーケストラ(細野晴臣、坂本龍一、高橋幸宏)がシンセサイザーを駆使した音作りで国際的な名声を獲得し、忌野清志郎を中心とするロックバンド“RCサクセション”が熱狂的な支持を集めたのもこの時期だ。
そして80年代半ばに入ると、マイケル・ジャクソン「スリラー」など海外のミュージック・ビデオ(MTV)がつぎつぎと放映された。彼らが中高生の頃のテレビは、ただつけているだけで、あらゆる音楽、バラエティー、その他エンタテインメントがざっと味わえる“夢の箱”だった。“だから”と限定するわけにはいかないけれど、この世代の音楽家の埋蔵量はとんでもない。オファーに応じて、数ある引き出しから最も適したものをピックアップして聴き手に届ける柔軟性がある。
そしてそのサウンドは、他の世代へのアピールを容易とする。1月にリリースした最新作『THE LAST』がオリコン3位を獲得したスガはこれまで、すべてのアルバムをトップ10に送り込んできた。「若者がCDから縁遠くなった」といわれて久しいが、年長者からだけの支持だけでヒット・チャートをかけぬけることは限りなく難しい。スガの世界は、彼よりもはるかに若い層にも現在進行形のサウンドとして響いているのだろう。斉藤和義も、最新作『風の果てまで』が自己最高記録タイ(オリコン2位)を獲得。ランキングだけを参照すれば、スガも斉藤も、今が最も売れている。