どうすれば小泉今日子のように、齢とともに魅力を増していけるのか―― その秘密を知ることは、現代を生きる私たちにとって大きな意味があるはず。

 日本文学研究者である助川幸逸郎氏が、現代社会における“小泉今日子”の存在を分析し、今の時代を生きる我々がいかにして“小泉今日子”的に生きるべきかを考察する。

「36歳の危機を乗り越えるために、小泉今日子が手放したもの」よりつづく

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 世紀の境目を支配した「ダークな文化」は、音楽シーンも席巻しました。「傷ついた自分」と「汚れた『世界』への怒り」を歌いあげる女性シンガーが、この時期に何人も現われています。

 彼女たちの多くが、現在、第一線から消えています。「トラウマ告白本」の著者と同じく、このタイプの歌手は「自分が主役の悲劇」を語っています。彼女たちを支持した層も、「トラウマ告白本」のそれと重なります。「過剰な自己重要感」ゆえに「世界」を呪詛した人々です。

誰からも愛され、つねに「主役」として振る舞っていた「若い自分」を、「身近な死者」に仮託して哀悼する。そういうかたちで過去に訣別する儀式を、小泉今日子は著書『原宿百景』で行いました。「トラウマ告白本」の著者や「『世界』に怒る系」シンガーが、小泉今日子と同じことをするのは困難です。「自己重要感」への執着が活動の鍵になっているので、「主役」を譲ることは、表現行為の動機そのものの否定につながるからです。

「いい女」は、若い時代には常に「自分が主役」です。その状態からいきなり完全撤退することは、弊害が大きいばかりで得るものはありません。ただし、注目される立場とは別の役割を引きうける機会も、徐々に増やしていくことが必要です。同僚を援助して花を持たせたり、後輩にアドバイスを送って引き上げたり――そうしたことも試みていかなければ、長く輝きつづけることはできません。

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