太平洋戦争で沈んだ巨大戦艦「武蔵」の発見が世界を震撼させている。発見者である米マイクロソフト・共同創業者のポール・アレン氏は今も続報を伝え続けており、その全貌解明に胸を膨らませている人もいることだろう。
戦艦「大和」と「武蔵」は、日本がかつて世界に誇った“姉妹艦”だった。だが、「大和」と「武蔵」に、実は「信濃」という“妹”がいたということは、あまり知られていない。
「信濃」とはどんな軍艦だったのだろうか。1940年5月に、「大和型戦艦3番艦」として、横須賀海軍工廠で建造が始まった。これは「武蔵」の建造開始から2年もあとのことだ。当初、45年3月末の完成を予定していたが、翌41年12月になると、太平洋戦争が始まってしまう。そして真珠湾攻撃やマレー沖海戦など緒戦の結果で、もはや戦艦は時代遅れで、これからは空母を活用した航空機の時代だということがわかると、「信濃」の建造は途中でストップしてしまう。
「信濃」の完成は幻に終わるかに見えた。だが、42年6月のミッドウェー海戦で、日本は主力空母4隻を失う大敗を喫し、新たな空母を急造する必要に迫られた。