「戦艦武蔵」発見!! 投棄された左舷の錨が決定的な証拠か?
第二次世界大戦末期のレイテ沖海戦で、米軍の猛攻を受けて撃沈された旧日本海軍の「戦艦武蔵」(全長263メートル、排水量6万5千トン)とみられる動画が3月4日、米国のマイクロソフトの共同創業者・ポール・アレン氏のホームページで公開された。 1944年10月、フィリピンのレイテ島に上陸した米軍を攻撃するため、第二艦隊の主力艦として、武蔵は停泊していたブルネイを出撃した。 当時、劣勢に立たされていた日本軍は、十分な航空戦力が残っていなかったため、戦艦や巡洋艦を中心とする残存艦艇で、レイテ湾に停泊する艦隊に殴り込みをかけ、米軍の上陸部隊を殲滅する作戦を立案した。 武蔵を巡ってはこんな逸話も残っている。 武蔵が米軍機の攻撃を一手に引き受ける「被害担当艦」として、他の艦船への被害を抑えるため、艦長の猪口敏平少将は、出撃前にその船体をあえて目立たせるために「薄いグレー」に塗装させたとも言われている。これは「武蔵の死に装束」と呼ばれている。 武蔵は味方の航空機の護衛もなく、丸裸同然で6次にわたる米軍機の空襲を受けた。その結果、多数の爆弾と魚雷を受けて大破し、浸水してしまう。 その戦闘は非常に激しいものだった。「軍艦武蔵戦闘詳報」によると、武蔵は、主砲54発、副砲203発、高角砲1317発、機銃約12万5000発を撃っている。だが、奮闘もむなしく、浸水が激しくなるとともに艦首から海の底に消えていった。 当時の記録などによると、沈没地点は「シブヤン海、北緯13度07分、東経122度48分、水深約800メートル」とされているが、しかし、はっきりとした沈没地点は長らく不明とされていた。 ポール・アレン氏が公開した動画をみると、艦首には日本海軍の軍艦にとりつけられていた「菊の御紋章」がみられる。このほか、「主弁取手」、「開」とはっきり読み取れるバルブや、当時世界最大を誇った46センチ砲の台座、偵察機を発進させるカタパルトらしきものなども鮮明に映し出されている。 特に、興味深いのは艦首の近くにある主錨だ。右舷には15トンの錨が原型をとどめているが、左舷には錨がない。当時の戦闘記録では、艦首の沈降を防ぐため、戦闘中に左舷の主錨は海中に放棄されたとされている。この点に注目して、発見された沈没船が武蔵である証拠だと指摘する専門家もいる。 戦後70年の節目に、長らく謎とされてきた戦艦武蔵、そしてともに眠る多くの英霊は、現在の日本人に何を問いかけているのだろうか。
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