コロナウイルス拡大の影響を受け、今月19日に開幕が予定されていた第92回選抜高校野球大会は中止となった。今年は選抜を観戦し、春の訪れを感じることはできなくなってしまったが、そんな今こそ昔の選抜の思い出を振り返りたい。そこで今回は「平成甲子園センバツ高校野球B級ニュース事件簿」(日刊スポーツ出版)の著者であるライターの久保田龍雄氏に、過去の選抜高等学校野球大会で起こった「幻のノーヒットノーラン」にまつわるエピソードを振り返ってもらった。
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9回1死までパーフェクトに抑えていた投手が悪夢の暗転劇に泣いたのが、1988年の2回戦、中京(現中京大中京)vs宇部商だ。
前年夏の甲子園で8強入りした中京のエース・木村龍治は、伸びのある速球と多彩な変化球で8回まで1人の走者も許さない。1対0とリードした9回も先頭打者を投ゴロに打ち取り、1978年の松本稔(前橋)以来、10年ぶり2度目の完全試合まで「あと2人」となった。
だが、26人目の打者・西田崇を1-2と追い込みながら、スライダーが外角に甘く入ったところを一、二塁間に打たれる。セカンド、ファーストの2人が必死に追うが、無情にも打球は右前へ。「打てなかったら死ぬぐらいの気持ちで打席に立った」西田の執念が生んだ一打だった。この瞬間、パーフェクトの夢は消えた。
「捕ってくれる」と信じていた木村は、明らかに気落ちしていた。そして、犠打で2死二塁としたあと、1番・坂本雄に初球を左翼ラッキーゾーンに運ばれてしまう。「少し高かったが、内角のストレート。自分では狙ったとおりの球で、球威がなかったわけではない」(木村)。けっして失投ではなかっただけに「入るはずがないと思った」逆転2ランに思わず天を仰いだ。完封勝利まで「あと1人」から、たったひと振りでまさかの逆転負け。野球は本当に怖い。
一方、160センチ、63キロと小柄な坂本は、これが高校初アーチ。本塁打を打った者も打たれた者も、期せずして「信じられない」と同じ言葉を口にしている。