「まあ、こんなもんですよ」と、軽い口調で話すのだが、一触即発の現場である。

 であれば、なおさら「直感」などという不確かなものに頼るのではなく、ピント合わせはAFにまかせたほうが確実に被写体をとらえられるのではないか。

「でもね、そうやってAFに頼ると緊張感がなくなると思うんですよ。やっぱりね、写真を撮るにはそういう緊張感がないと。張り込みをするときもそう。何かがありそうだな、ということを察知して、もたもたしない。だからカメラは肩に下げないんですよ。必ず握っていますから。常にこうやって」

 そう言うと、右手でカメラをがっしりとつかんで見せる。

「ズボンやなんかに当たるとね、ピントがずれるから、こまめに確認して3メートルとかに合わせておく。それは体が覚えているんですね。手が動くわけですよ。これも訓練というかね」

 いまでも「テレビに向かってピントを合わせる」訓練を積んでいるという。「そういう『リハビリ』をしてから取材に行くんです」

 その一方で、「ピントなんて技術的な話じゃないですか」とも言う。

「その前にもっとやることがあるんじゃないかと思っています」

 どうやら鷲尾さんのピント合わせは写真に対する信念と固く結びついているようだ。

 かつては船乗りだったという鷲尾さん。写真家となる前の11年間、外国航路の船員として生きてきた。

 写真家となったのは、「ユージン・スミス(※1)の写真に出合ったんですよ」。

 ニュージーランドに寄港したときのことだ。

「エロ本を買いに行ったんです。神戸の飲み屋のオヤジへ土産にしようと思って。そうしたら売り場の前にカーテンがあって、その前に5、6人たまっていた。要するに入りにくいわけです。それで本棚を見ていたら『ザ・ファミリー・オブ・マン』(※2)っていう写真集が目に入ったのでパラパラと見ていた。早くどかないかなと。そうしたら、最後のページにユージン・スミスの「楽園への歩み」という写真があったんです。これを見てね、俺にもこれならできるんじゃないかな、と。一生船乗りで終わるのはどうかな、ということを考えていたときだったんですよ。それまでは夜の街で遊びほうけて、ろくなもんじゃなかった。カメラを持ってからですよ、がらっと変わったのは。カメラというのはそういう道具なんです」

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「何とでも写してやろう」という執念