陸に上がってから約10年後の1981年、「FOCUS」創刊の準備を進めていた後藤章夫編集長に、三木淳(※3)はある写真家に会うことをしきりに勧めた。新しい写真週刊誌にぴったりな「打たれ強い男がいる」と。

 後藤は銀座ニコンサロンで開催されていた鷲尾さんの写真展を訪れ、三木の言葉に大いに納得する。「顔・エトセトラ」と題された作品は横浜・寿町の住人の顔を真正面からクローズアップで写したものだった。左の写真はその中の一枚である。

 よく、ポートレート撮影の基本のひとつは「目にピントを合わせる」ことだという。

 ところが、鷲尾さんの作品は、ただ単に目にピントが合っている、というようなものではなく、なんとしても目を写してやろう、という執念が伝わってくる。だからこそ、そこに写った目が見る者に迫ってくるのだろう。

 寿町の撮影では「『なに、カメラを持って、ちょろちょろしてんだよ!』なんて言われて。でも、ぼくは逃げないんですよ。寄っていくんですよ。それでこうでしょう」。

 そう言って相手に体を寄せる様子を再現してみせる。

「距離は1メートルもないからね。で、『何が撮りたいんだ』『目が撮りたい』。そんなことを言うと、だいたいOKしてくれました」

 とはいっても、初めからこんなふうに撮れたわけではまったくなかった。

「なかなかね、撮れない。要するにカメラを取り出しても、向けられなかった。1カ月くらいは毎日同じ場所に立っていたかな。最初は遠くから。ぽつぽつ撮れるようになって、3、4年はやったと思う。それでだんだんと寄っていったわけです」

 カメラはニコンF。レンズはマイクロニッコール55ミリF2.8。「顔を撮るにはこのレンズしかないと思ったんです」

「最初はね、ぼくの知っている人の顔を撮ったんです。ところが、ぜんぜん面白くない。もう、なあなあになっちゃって。この作品はみんな行きずりに撮った写真です」

 しかし、見ず知らずの人間にいきなり声をかけて、「はい、いいですよ」となるわけがない。

 それどころか、「『何が写真だよ、ふざけんな、コノヤロー』みたいな態度ですよ。でも、そう言われてもついて行くんです。相手が立ち飲み屋に入ればぼくも入るんですよ。で、何かを頼むわけです。その当時、ぼくは酒をやらないから『コーラ』。すると、前金じゃないですか。ぼくの分も払ってくれるんです。『いいよ、そんなの、ついでだ』って。で、店を出たら、またいっしょに歩くわけです。『しょうがねえなあ、じゃあ撮れよ』と。ここでの経験が『FOCUS』ですごく役に立ちましたね」。

※1 ユージン・スミスはフォトストーリーを得意としたドキュメンタリー写真家。「楽園への歩み」は沖縄戦で重傷を負った身で子どもたちを写した作品
※2 「ザ・ファミリー・オブ・マン」は冷戦時代「アメリカの物語を世界に伝える」ために企画された展覧会。38カ国を巡回した
※3 三木淳は戦後『LIFE』誌などを舞台に活躍した報道写真家

(文・アサヒカメラ編集部/米倉昭仁)

※『アサヒカメラ』2020年4月号より抜粋。本誌では鷲尾さんによるピントの「ブレ」に対する考え方や他の作品なども含めて、8ページにわたってインタビューを掲載している。