作家・北原みのり氏の週刊朝日連載「ニッポンスッポンポンNEO」。今回は過去と未来の捉え方について。
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網野善彦さんの本で知ったのだと記憶しているが、中世の日本人の時間観は今と全く違っていたという。
現代人は未来が自分の前にあると考える。意思と努力と選択によって、人生を切り拓いていく。自分の歩く後に過去はあり、未来は光に向かって歩いていくようなイメージだ。
対して中世日本人にとって未来とは背後にある闇だった。過去は自分の前に広がっているが、未来は背中に。人々は背中を大きな手でつかまれ、その手によって闇に引っ張られるように生きていたという。興味深いのは、その感覚が、今も言葉として残っていることだ。「前」という言葉が「過去」を意味し、「後(あと)」は未来を表すように。「まえにも、こんなことあった」「あとで、やろう」、そんな感じで。
今、中世の時間観で生きているような気分だ。どこに連れて行かれるか、自分で選択できることはあまりに少なく、猛スピードで乱暴に未来に引っ張られているように感じる。
でも、なぜなんだろう、不思議に怖くない。もちろん経済的な不安、移動が制限されることのストレス、健康への懸念は深まるばかりだ。それでも一方で、こんな時だからこそ目の前に広がっていく過去の道を、凝視したくもなるのだ。過去から聞こえる声や、見える景色に集中していると、もしかしたら引っ張られる未来の角度が変わるような、そんな気持ちにもなる。過去との向き合い方が、未来を決めていく。
国有地売却を巡り、公文書改竄(かいざん)を命じられ、財務省役人の赤木俊夫さんが自死したのは2年前の3月だった。当初から「ある」と言われていた手記や遺書が先週妻の手によって公開され、もみ消されようとしていた過去が明らかになった。妻は、改竄を強制し、夫を死に追いやったとして、国と佐川宣寿理財局長(当時)を訴えた。