とはいえ、彼女が死をもって、アイドルが生身であることを示したことでその後のアイドルは生きやすくなったかもしれない。小倉優子のように「こりん星のりんごももか姫」を名乗っても、ファンはそれを「設定」として楽しめたし、指原莉乃のように、男性スキャンダルをネタにして頂点にまで上り詰める人まで現れた。
ちなみに、岡田はアイドルをどういうものだと考えていたのか。前出のインタビューでは「やすらぎというのも大げさですけど」などと言いながら、こんな話をしてくれた。
「自分もやっぱり、河合奈保子さんとか好きだったってこともあるんですけど、そういう人を見てて、けっこう、写真とか見てて『ニタッ』とかするんですけどね(笑)おかしいですネ。女の子なのに、おかしいナ、と思うんですけど、でも、そういうの見てて、気分がよくなれば別にいい、っていうか、やっぱり、必要なものじゃないかな、と思いますね」
これなどはむしろ、最近のアイドル観に近いものだろう。乃木坂46や「ラブライブ!」などに、女の子たちもハマる感覚。彼女もまた、そういう「可愛くて楽しそう」なアイドルであり続けたかったはずだし、死の前々日に地元・名古屋で行なわれたコンサートまで、そういう存在であろうと頑張っていた。志なかばで散ることになったが、その散りざまがアイドルの歴史にも大きな影響を与えたのである。
ひとつの文化が成熟していくには、先人たちの生の積み重ねがある。アイドルという文化において、彼女が重要な先人のひとりであることは間違いない。
●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など。