これはアイドル第1号というべき天地真理が「ソニーの白雪姫」というキャッチコピーで世に出たことや、サンミュージックの女性アイドル第1号である桜田淳子が「天使」というコンセプトで売り出されたことを思い出させる。しかし、そういう戦略が有効だったのはあくまで70年代で、80年代に入ると、やや時代遅れになっていた。
特に85年には、おニャン子が「女子校の放課後」をテーマにブレイクし、小泉今日子が自己言及ソングというべき「なんてったってアイドル」をヒットさせる。どちらも、仕掛けたのは新進気鋭の作詞家だった秋元康だ。こうして、アイドルはファンタジーのヒロインからドキュメンタリーの主役へと変化していった。
そんななか、ファンタジーとドキュメンタリーを自在に行き来しながら、頂点に君臨していたのが聖子だ。「ぶりっこ」だの「うそ泣き」だのといじられながらも、圧倒的なオーラと実力、スキャンダルへの打たれ強さで時代をねじ伏せていった。
が、岡田にはそこまでのことはできない。もともと、河合奈保子の大ファンだった彼女は二番手三番手タイプで、人を押しのけてでも前に出て行くような性格でもなかった。
かといって、入れ替わるようにサンミュージックに入った後輩の酒井法子が「のりピー語」などでアイドルをネタ化したようなことも、正統派である彼女には無理だ。愚直なまでに王道を貫くしかなかったわけだが、王道でないものがウケるシーンにあって、それはむしろ「浮く」ことでもあった。
しかも、アイドルというのは昔も今も「可愛くて楽しそう」というイメージだ。まして、彼女はドキュメンタリー型ではなく、ファンタジー型だった。おニャン子や小泉が生身っぽい日常性を見せることで、偶像としての古典的アイドルから脱却しようとしていたとき、こちらは相も変わらず、夢の国のお姫さまのような雰囲気を漂わせていた。そんな少女が突然、自殺という現実的な死を遂げたのである。
メディアも世間もその死をタブー化することで、ショックをやわらげようとした。翌月にリリースされるはずだったシングル「花のイマージュ」は発売中止となり、彼女の映像も歌もテレビやラジオから消え、解禁しようという空気が生じるのは死後十年以上もたってからだ。