批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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東京五輪の1年程度の延期が決まった。この数週間五輪の行方は世界的な関心事だった。決定に安堵する声が多い。
しかし混乱の本番はこれからである。今回あらためて明らかになったのは、五輪という巨大事業の異様さだ。中止は各国の競技団体を財政的に破綻させるのでありえない。かといって延期もむずかしい。年内は巨額のテレビ放映権が絡むので考えられない。来年は水泳と陸上の世界選手権が夏にある。再来年には冬季五輪がある。日程の再調整自体が複雑なパズルを解くかのようだ。
さらに日本ではチケットの再販売や競技会場・ホテルの再確保が問題となる。選手村跡地はマンションになる予定だが、分譲が遅れれば補償が生じる。秋に解散総選挙といわれた政治日程は仕切り直しだ。検定教科書の書き換えまで必要らしい。影響は社会のあらゆる場所に及ぶが、いずれにせよ流行が来年夏に収束している保証はない。もし中止や再延期になったら、日本はどうなってしまうのか。
五輪が巨大なのはやむをえない。異様なのは、かくも広範な影響を及ぼす事業であるにもかかわらず、中止や延期の際の代替案がほぼなにも考えられていなかったことである。
ここには現代社会の病が端的に表れている。ひとは小さな運動会ならば必ず雨天中止について考える。けれど五輪のように巨大になるとむしろ考えなくなる。考えても代替案が思いつかないからだ。しかし雨は降るときには降る。そして壊滅的影響が出る。その点でこれは原発事故にも似ている。今後は五輪についても、中止や延期を考慮した「プランB」の策定を国際オリンピック委員会(IOC)や開催都市に義務づけるべきだろう。それではコストが高くなるというなら、潔く本体を縮小するべきだ。
新型コロナウイルスは現代社会の弱点をつぎつぎに突いてくる。世界はこの数十年、国家間や産業間の相互依存を進め、規模を拡大することが社会を強靱にするものだと考えてきた。コロナ禍はそれが弱点にもなることを教えてくれている。身の丈にあった新たなグローバル社会をどう再構築するか、本当の知恵が問われている。
※AERA 2020年4月6日号