経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
* * *
ある演劇公演について、プログラムへの寄稿依頼を頂戴した。演目はアントン・チェーホフの名作「桜の園」である。街角が満開の桜に溢れる中で、この哀しくも美しい作品を上演する。何と粋な計らい!
そう思っていたが、残念ながら向こう2週間分の公演は中止になったようだ。アメリカのブロードウェーも、イギリスのウェストエンドも、演劇街は軒並みロックダウン状態だ。それに伴って、お芝居関係者が窮地に追い込まれていく。劇団や劇場の経営が危うくなる。役者さんたちも、劇作家も演出家も仕事がなくなる。新型コロナウイルスがアートを蝕んでいく。なんということか。
危機感を深めているところに、一筋の光明が差し込んできた。ドイツ政府が、この状況下でパフォーマンスの場を奪われた芸術家たちへの大規模支援に乗り出したのである。
ドイツには、約300万人のフリーランサーや個人事業主スタイルで働く人々がいる。最近はやりの言い方でいえば、ギグワーカーたちである。そして、何とその半数近くがアートの世界で働いているのだという。様々なイベントの中止によって、彼らが被った損害は12.5億ユーロに上ると報じられている。その彼らを含むギグワーカー支援のために、ドイツ政府は総額500億ユーロを用意した。
政策を発表するにあたって、モニカ・グリュッタース独文化相は、「クリエイティブな人々のクリエイティブな勇気は危機を克服するために役に立つ。……アーティストは……生命維持に必要なのだ」と言った。
アートは人類の生命維持装置。この認識は素晴らしい。実にその通りだ。心も干からびていきそうな今、我々の精神は、芸術がもたらす潤いを必要としている。芸術の輝きに照らされることを求めている。たとえ、今はその姿を目の当たりに出来なくとも、芸術の光が消えることは避けなくてはならない。
この忌まわしい日々が去った後、我々が人間らしく生きていくためには、芸術の支えが不可欠だ。その時に、生命維持装置が壊れていたのでは、悲惨過ぎる。だが、今の日本国政府にこれをいっても全く意味が解らないだろう。これがまた悲惨だ。
※AERA 2020年4月13日号