冒頭発言は、透明なガラス板状の機器(プロンプター)に表示される原稿を読み上げる。続いてメディアの質問を受けるが、内容は事前に官邸報道室が聞き取っている。ここでも用意された紙の回答原稿を読むだけ。
新型コロナウイルスの感染拡大防止策として全国の学校に一斉休校を求める重大な内容だったのに、理由も根拠も示さないまま、会見は36分で終わった。ジャーナリストの江川紹子さんが「まだ質問があります」と声を上げたほかは、記者席から何の異論もなかった。
官邸と記者クラブが台本通りに演じる茶番劇は、「台本営発表」とも「劇団記者クラブ」とも揶揄された。市民の批判は官邸だけでなく、共犯のメディアにも向けられた。
「日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)」などは十分な質疑時間を確保し、フリーランスの記者にも質問権を保障するよう求めるネット署名を始め、1週間で3万筆を集めた。宛先には、安倍首相と同列で各メディアが並んでいた。
日ごろ沖縄で取材する私にとって、官邸は縄張りではない。政治部の取材ルールも全く知らない。いきなり最高権力者の記者会見に飛び込むとは、当初考えもしなかった。
ただ、たまたま3月11日前後の原発事故被災地を取材しようと、福島にいた。羽田空港から沖縄へ帰る予定の14日に首相会見が設定され、時間もぎりぎり間に合いそうだ。こんな偶然は今後もないだろう。メディア全体の危機に、地方メディアだからと遠慮したり、お行儀良く振る舞ったりしている場合ではない、と覚悟を決めた。
当日朝、浪江町の民宿でファクスを借り、官邸に取材申請を送った。原発周辺区間で事故から9年ぶりに運行を再開したJR常磐線の特急1番列車に乗り、東京に向かった。
たどり着いた官邸はみぞれ模様だった。門外で警備の警察官に沖縄タイムスの社員証を託し、クリアファイルを頭の上にかざして待つこと5分ほど。ようやく取り次いでもらうと、金属探知機をくぐり、官邸に足を踏み入れた。