コメンテーターを務めるKBS京都ラジオ「さらピン!キョウト」の生放送。この日は「京都の寺の紅葉を無断でとり料理の飾りに使った料亭」のニュースが取り上げられた(撮影/楠本涼)
コメンテーターを務めるKBS京都ラジオ「さらピン!キョウト」の生放送。この日は「京都の寺の紅葉を無断でとり料理の飾りに使った料亭」のニュースが取り上げられた(撮影/楠本涼)

■地下鉄サリン事件を見て オウムに複雑な思い抱く

「普段は拝観料を取りながら、コロナ禍では感染を恐れて門を閉ざした寺もいくつかありました。うちの寺もお土産でも売ればお金になるんでしょうが、そういうことはやりたくない」

 そう話す鵜飼はこれまでに『寺院消滅 失われる「地方」と「宗教」』など9冊の本を執筆し、飛鳥時代から神道とともに日本人の精神性を支えてきた「仏教」に、ジャーナリズムの光を当ててきた。現在は雑誌やWebで月に8本の連載を抱え、三つの大学の教壇に立ちながら、大企業の研修で仏教を幹部層に教える。さらにジャーナリストを目指す若者のための塾を、今年4月に仲間と立ち上げる計画があり、ほとんど休みのない多忙な日々を送る。「自分にとっては仏教も報道も、『人々の間から争いを無くし、幸せにみんなが暮らす』ための存在なのでつながっているんです」と話す鵜飼が、京都の実家に戻り寺を継ぐことにしたのは5年前のことだ。

「自分には2歳上の兄がいるんですが、兄は小さいときから『継ぎたくない』と言っていたので、『それなら僕が継ぐよ』と小3のとき祖父に伝えました。幼心に『これで老後は安定するな』という打算がありました(笑)。実際には寺ではとても食えないので、就職するわけですが」

 鵜飼は大学を出てから20年以上マスコミの第一線で働いてきた。「ジャーナリストになりたい」と思ったのは平成元年、中3のときだ。近くの山陰線の踏切で立ち往生した市バスに列車が衝突し、運転手や乗客29人が負傷する大事故が起きた。鵜飼は救助活動で騒然とする現場を何時間もずっと見続けたという。「テレビカメラが事故現場の様子を実況するのを見て、自分もリアルな現実を伝える仕事がしたいと思ったんです」

 鵜飼の憧れの存在となったのが、当時のテレビ朝日の人気報道番組「ニュースステーション」の看板キャスター久米宏だった。あらゆるニュースを切れ味鋭く伝える久米の姿に、将来の自分の姿を重ねた。「いつか久米さんの近くで働いてみたい」。そう考えた鵜飼は94年、東京の成城大学に進学してから夢を現実のものとする。ニュースステーションのアルバイトの空きを半年間待ち続け、大学1年の冬にADとして採用されたのだ。

「自分の席が憧れの久米さんの隣で、学生の僕によく声をかけてくれ、とても嬉しかった。ところがアルバイトを始めてすぐ95年の3月に、日本を揺るがす大事件が起こるんです」

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