地下鉄サリン事件である。オウム真理教の関与が疑われると、全マスコミが競って連日警察の捜査と教団幹部の様子を報道した。新米ADの鵜飼も現場に駆り出され、ほとんど大学にも行かず毎日働き、報道の最前線を体感することになった。
「オウム真理教が『宗教』であることに、複雑な思いも抱きました。彼らは初期のチベット仏教に影響を受けており、私自身がその頃、頭を丸めて仏教の修行に取り組んでいたからです」
浄土宗では僧侶になるのに二つの道がある。一つは宗門の大学である佛教大学か大正大学に入学し、所定の科目を修める方法。もう一つは、毎年夏に3週間泊まり込みで京都と東京の寺で実施される僧侶の養成講座に3期参加し、検定に合格する道だ。一般の大学に進学した鵜飼は、大学1年の夏からこの講座に参加していた。
「修行が、本当につらいんですよ。京都の蒸し暑い夏、エアコンもない部屋で雑魚寝して、毎朝4時に起きてから経典の勉強、木魚の叩(たた)き方、お経の読み方、袈裟の畳み方、僧侶の立ち居振る舞い、あらゆることをスパルタで叩き込まれるんです。オウムの若者が『修行するぞ』と叫んでる姿を見て、『自分たちも同じじゃないか』と感じました」
■日本の寺の多くは 専業では成り立たない
成城大学の同級生たちがサークルなどで青春を謳歌(おうか)するのを横目で見ながら、毎年夏になると剃髪(ていはつ)して修行に行くのが惨めだった。この修行の同期で今も親しく交流するのが、長野県松本市の名刹(めいさつ)・玄向寺の副住職である荻須真尚(おぎすしんしょう)(47)だ。
「3年間の修行、すべて鵜飼さんとご一緒しました。1歳年上で班も別でしたがなぜか気があって、親しくしてもらったんです。鵜飼さんは当時からマスコミ志望だったせいか、先生の僧侶に『なぜそうなんですか?』と懐疑的な質問をして怒られていました(笑)」
鵜飼も修行について「パワハラ的な空気に、反発を覚えた」と振り返る。修行の最後に提出する作文には、「こういう修行に意味があるのだろうか」と書いた。すると宗門の本部から父とともに呼び出され、叱られた上、反省文を書くことで何とか僧侶の資格をもらえた。
だが「うちの寺の檀家(だんか)数では専業で食べていくのは不可能です」と鵜飼は言う。
「『坊主丸儲(まるもう)け』などと言われ、寺は儲かると思われていますが、実態はまったく違う。日本の寺の多くは専業では収支が成り立たず、住職が他に職を持つことでなんとか維持している状態です」
大学を出た後、いったん働くことにした鵜飼は、マスコミ業界への就職を志した。ある日、銀座の喫茶店で朝日新聞社に出す履歴書を書いていると隣の席からスーツ姿の同年代の男が、ちらちら覗(のぞ)き込んでくる。男は「君、朝日受けるの? 俺は報知新聞ってスポーツ紙で広告営業してるんだけど、良かったらうちも受けなよ」と話しかけてきた。鵜飼はスポーツに関心がなく、報道記者志望だったが「報知はこれから社会面に力を入れるよ」という男に押し切られ、受けることにした。
「それで結局、報知に入社しました。あの時、喫茶店で仕事をサボっていた兄ちゃんが声をかけてこなかったら、その後の人生はだいぶ違ったでしょうね」
(文中敬称略)
(文・大越裕)
※記事の続きはAERA 2023年2月13日号でご覧いただけます。