カブレラに次ぐ第2位は、1リーグ時代の49年8月18日に大下弘(東急)が大映戦(札幌円山)で野口正明から放った場外弾と、90年6月6日にブライアント(近鉄)が日本ハム戦で角盈男から放った東京ドームの天井直撃弾で、いずれも推定飛距離は170メートル。
青のラーカーで塗装した青バットで本塁打を量産し、川上哲治の赤バットと並び称された“天才打者”大下は、滞空時間の長い本塁打が特徴だった。戦後間もない頃はボールが粗悪で飛ばなかったため、ライナー性の打球を打つことが理想とされ、フライを打ち上げるのは良くないとされた。そんな悪条件下でも高々とフライを打ち上げ、悠々とスタンドまで運ぶ大下ならではの打球は、“虹のアーチ”と呼ばれた。
一方、プロ野球史上初の認定本塁打を記録したブライアントは、スイングスピードの速さから、痛烈なライナー性の打球が多かった。
角のスライダーを鋭くとらえた天井直撃弾は、センター方向にある高さ44.5メートルのスピーカーを直撃したあと、跳ね返って、バックスクリーン手前に落下した。
これには両軍ナインはもとより、3万8千人の観衆も口をアングリ。打たれた角は「一番(打球が)飛ぶところだったけど、それにしてもあそこまで飛びますかねえ」と驚き、五十嵐洋一一塁塁審も「背筋が寒くなるような当たりだった。もし、スピーカーがなかったら、スコアボードまで飛んで行っただろう」と怪物並みのパワーに脱帽した。
実は、ブライアントは前日も7回に天井直撃弾を放っていたが、跳ね返って落下した打球がセカンド・五十嵐信一にキャッチされたため、ローカルルールにより、二飛に。「ボールが上で止まってくれれば二塁打だったのに……」と悔しがったが、その翌日にスピーカー直撃本塁打を放ち、球史に名を残すことになった。
続いて第4位は、ブーマー(阪急)が88年7月13日の西武戦(西宮)で渡辺久信から放った162メートル弾。内角のフォークをフルスイングした打球は、凄まじい勢いで左翼席最上段の赤いテントを越えていくと、球場の遥か後方の道路上に落下。たまたま目撃していた2人の学生がボールを拾って球場に届けたことから、実測による飛距離が判明したという。