浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
この記事の写真をすべて見る
※写真はイメージ(getyyimages)
※写真はイメージ(getyyimages)

 経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。

*  *  *

 世には、日本語化しにくい外国語がある。そういう言葉に限って流行(はや)る。訳しにくいから、カタカナ語としてそのまま独り歩きする。これがいけない。

「巣ごもり」状態で原稿書きに没入している。没入すれば進捗するというわけではない。ここがつらい。それはともかく、その中で、一つのカタカナ語に思いが及んだ。新型コロナウイルスの襲来を受けている今、我々にとって特別の響きを持っている言葉だという気がする。それだけに、カタカナ語のままでまかり通らせてはいけないと思う。

 その言葉は「レジリエンス」(resilience)である。辞書を引けば、「弾力性・回復力・快活・元気・復元力」等々とある。確かに、どうも、しっくり来ない。だから、「レジリエントな経営」とか「レジリエンス研修」などという具合に処理されてしまう。これは知的怠惰だと思う。

 この種の知的怠惰を許すと、何が起こるか。それは、言葉は一つでも意味が多数化してしまうことだ。同じ言葉を使って会話しながら、違うことを言い合っている。そのような状態に陥ることになりかねない。これは危険なことだ。流行り言葉で先端的なコミュニケーションをとっているつもりで、実はコミュニケーションが破綻している。こうなることは、怖い。

 さて、「レジリエンス」をどう日本語化するかだ。筆者の語感からは、まず「頑丈」「強靱」「丈夫」などが浮かんでくる。「しぶとい」や「したたか」も思い当たる。さらにそこから、「打たれ強さ」あるいは「七転び八起き力」などというのが出てくる。

 ただ、この言葉は、上記のようにひたすら図太さを示唆しているばかりではない。そこには、「爽やか」「颯爽」「清々しい」などをイメージさせるものが漂っている。筆者にはそう感じられる。あくまでも、爽やかなしぶとさ。颯爽たるしたたかさ。清々しい打たれ強さ。それがレジリエンスだ。

 辞書の解説で、一つだけ気に入ったものがある。「攪乱を受けた群集が元の状態に復帰できる能力」である。今、我々に求められているものがこれだ。爽やかに、颯爽と、清々しく、ここを突破していこう。

AERA 2020年5月18日号