『皇帝戦士』ベイダー(190cm170kg)は、87年12月27日、TPG(たけしプロレス軍団)の一員として新日本・両国国技館に初登場。猪木を約3分で下すなど、当日勃発した暴動の要因ともなった。78年アメフトのNFL全米ドラフト3巡目24位(全体80位)でロサンゼルス・ラムズに指名され、実際に入団した経歴を持つアスリート。「ベイダーハンマー」など巨体を生かした打撃系技だけでなく、「ムーンサルトプレス」などを難なくこなす俊敏性もあった。新日本ではIWGPヘビー級3度、同タッグ王座1度。全日本では三冠ヘビー級2度、世界タッグ王座1度など、多くの戴冠歴を誇る。

 全身バネを思わせる肉体を誇っていたのは、『スーパーフライ』ことジミー・スヌーカ。フィジー出身で並外れた跳躍力とボディビルで鍛え上げた身体が持ち味。81年に全日本の世界最強タッグ優勝(パートナーはブルーザー・ブロディ)を果たしたのち、新日本も含め、日本マット常連となる。また米国NWAでは数多くのタイトルを奪取。WWFでは歴史的フライ・ムーヴをみせるなど、日米で伝説的存在となった。

 米国WWFや新日本などで活躍したバッドニュース・アレン(187cm120kg)もスタイル抜群だった。モントリオール五輪銅メダリストという実績を持ち、77年に坂口征二と柔道ジャケットマッチをおこなった縁から新日本の練習生となった。ラフファイトを得意とするヒール的存在で人気を得た。

 もちろん『不沈艦』スタン・ハンセンや『超獣』ブルーザー・ブロディ。『人間魚雷』テリー・ゴディや『殺人医師』スティーブ・ウィリアムスといった、スーパーヘビー級の説得力や存在感は言うまでもない。実績も文句のつけようがなく、彼らが絡んだ戦いがヒートアップするのは必然だった。また、FMWなどのインディー系団体が主戦場だったビッグ・タイトン(198cm123kg)やザ・グラジエーター(198cm132kg)などは、会場で近寄りがたいほどの身体の大きさがあった。

 名前を挙げるだけでもキリがない。やはりプロレスにおける外国人選手の存在はいつの時代でも不変。そこにいるだけで見ている側を興奮させてくれる。次期シリーズ参戦予定外国人選手の発表は、常にファンをドキドキさせてくれる瞬間だ。(文・山岡則夫)

●プロフィール
プロフィール/山岡則夫1972年島根県出身。千葉大学卒業後、アパレル会社勤務などを経て01年にInnings,Co.を設立、雑誌『Ballpark Time!』を発刊。現在はBallparkレーベルとして様々な書籍、雑誌を企画、編集・製作するほか、多くの雑誌、書籍、ホームページ等に寄稿している。Ballpark Time!公式ページ、facebook(Ballpark Time)に取材日記を不定期更新中。現在の肩書きはスポーツスペクテイター。

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