八村塁が、昨年のNBAドラフトで日本人初の1巡目指名を受けワシントン・ウィザーズに入り、開幕後も申し分ない活躍を見せていることから、日本人にとって雲の上の存在だったNBAは身近で手の届くものになった。その前シーズンから渡邊雄太が2way契約を交わしてメンフィス・グリズリーズでプレーし、2004年には田臥勇太が日本人初のNBAプレーヤーとしてコートに立っているが、八村のように、連日、国内のスポーツニュースで取り上げられることはなかった。
Bリーグのアルバルク東京に在籍していた馬場雄大が、現在はダラス・マーベリックスのGリーグチーム、テキサス・レジェンズでプレー。カレッジレベルでは桜丘高卒の富永啓生がレンジャーカレッジでプレーしており、2021年秋からはネブラスカ大リンカーン校への編入がほぼ確定。史上最年少の15歳5カ月で日本代表候補入りした田中力は、フロリダ州にあるIMGアカデミーで技を磨いており、それぞれが八村や渡邊の背中を追っている。
こうして世界で活躍、あるいは羽ばたこうとしている日本のバスケットボール選手も増えているが、視野を少し広げ東アジアまで見てみると、これまで多くの東アジア出身選手がNBAに挑んできたことを思い出す。
中でも一番のインパクトを残したのは中国の姚明だろう。身長229cmという恵まれた体格を生かし17歳で中国リーグ入りすると、2002年のドラフト全体1位指名でヒューストン・ロケッツ入り。長身を生かしたポストプレーと豪快なブロックショットでチームを支え、ルーキーシーズンでいきなりオールスターゲームにファン投票で選出された。
5年目の2006-07シーズンには1試合平均25.0得点、9.4リバウンド、2.0ブロックを記録。度重なる故障が影響し実働8年(2009-10シーズンは全休)とやや短いキャリアだったが、通算では19.0得点、9.2リバウンド、1.9ブロックという数字を残した。何しろ9年間でオールスターには8回出場し、アテネ五輪と北京五輪では中国チームの旗手にもなるなど国民的英雄となった。2017年には背番号11がロケッツの永久欠番にもなった。現在の中国におけるバスケットボール人気は、姚明が押し上げたことは間違いないだろう。