本で読む限り、石井氏はこの男性に直接は取材していないと思われる。が、同じ物書きとして石井が一番会いたかった取材者が彼だったことは間違いないはずだ。それでも書か(け)なかった。ノンフィクションは、本当はこの人に取材して書きたかっただろうな・・・の空白に真実が現れたりするよね、そんなことをふと思ったりする。

 私は木嶋を取材しながら「怖い」と感じることが何度かあった。それはもちろん暴力的・物理的な恐怖ではなく、「本当」がどこにあるのか分からず、「彼女の物語」に巻き込まれていく不安のようなものだった。

 例えば木嶋は10代の頃、知人の通帳と印鑑を盗み数百万を盗んだ。その後も化粧品や書籍の万引に、インターネットオークションの詐欺罪で逮捕されたこともある。それらを本人目線で美しい声で語ると「通帳を盗んだのは付き合っていた男の指示で、化粧品万引きは記憶にない、本は間違えて持ってきただけ、詐欺をしたのは私ではありません」という話になった。

 事実はもちろん「闇」のなか、証拠など今さらなにもない、だけれど彼女には真実を問い詰めても何もかえってこないことだけは分かった。言い通せば、自分が思い込めば「本当になる」という世界を生きてきた人は、どんどん大胆になるものなのだ。なにより、彼女の周囲の人間関係を取材していくなかで、誰も「本当の彼女」がどんな人なのかは知らなかったことは、突き刺さった。たった一人本命の彼氏として長年つきあっていた男性がいたが、彼女は本名すら伝えておらず偽名で通していた。彼は自分の彼女が逮捕されたこと、その後の様々な報道に本当にショックを受け、警察の前で倒れ込んだほどだったという。

 もちろん、これは木嶋の話。だけれど、「彼女の物語に巻き込まれる」恐怖は体験した者にしか分からないものだろう。そして石井氏の描いた小池氏の物語が突きつけるのは、そういう女性が「上り詰められる」政治の世界とはどういうものなのか。そのことを改めて突きつけられるように私には読めたのだ。

 石井氏の『女帝』の帯には「救世主か? “怪物”か?」と記されているが、明らかに怪物にしか見えない存在として描かれており、それは石井氏の覚悟の筆でもあるのだろう。人生をかけた告発をした小池氏の元同居人の女性と、石井氏の覚悟をうけ、都民としては考える。小池氏の「罪」は何だろう。学歴詐称か 公職選挙法違反か。それは「女帝状態」を揺るがす効力になり得るだろうか。

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