第2次大戦期には国威発揚映画が作られ、続く東西冷戦下では反共産主義の機運のなかで一気に左派攻撃が過激化する。「アメリカの理想を守るための映画同盟」による共産主義の排除のための「赤狩り」が行われ、スタジオからは300人以上の業界人が解雇された。米国のスターが現在のような「発言権」を持つようになるまでに、一体どのような経緯があったのか? AERA 2020年6月15日号に掲載された記事で、その歴史を紐解く。
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皮肉にも赤狩りと同時期、俳優たちは以前より発言しやすくもなった。俳優を縛っていたスタジオシステムが独占禁止法違反とされて消滅し、作品ごとに映画会社と契約するフリーランスの立場を手にしたからだ。これで労働条件の交渉は労働組合に任せ、自身はスケジュール管理などをするマネジャーや出演交渉などの実務を担うエージェントを雇うという現在の構造が整っていった。意に沿わなければ移籍もする。政治的発言でファンが離れるリスクがあっても、発言の最終判断は映画会社やエージェントではなく、俳優自身で下せるようになった。
こうして60年代以降、俳優たちは社会の動きに呼応して知名度を武器に、自由に声を上げるようになった。ジェーン・フォンダ(ベトナム反戦や男女同権運動)に始まり、ロバート・レッドフォード、レオナルド・ディカプリオ(ともに環境運動)やジョージ・クルーニー、ショーン・ペン(反イラク戦争)などなど。
一方、ハリウッド右派は「理想を守るための映画同盟」の一員だったロナルド・レーガンが81年に米大統領にのぼり詰めた前後から少数派に。現在、保守派を公言するのはクリント・イーストウッド、アーノルド・シュワルツェネッガーら。
同じエンタメ界でも政治性を創作の原動力にすらしてきたのがロックやヒップホップなどの音楽業界だ。自分で曲を作り、自分で歌うアーティストにとって、社会に違和感を覚えればそれを作品にするのは当たり前。他人が書いた楽曲を歌うことが多いポップスとの違いだ。