そんなとき、課長が懇意の業者に金を借りて△△に住宅地を買ったという噂(うわさ)が流れた。課員のひとりが調べると、その噂はほんとうで、課長の土地は業者の土地と隣り合わせだった。
さすがに、そこまでの癒着を知ると課員は怒る。ある晩、先輩三人とわたしは建設部長に面会を求めて課長の癒着を報告した。部長は驚いたが、「ほかには洩(も)らすな。自分が責任をもって対処する」といった。
それから半月ほどして、今度は部長が意匠課の四人を集めた。「調べたら、君らから聞いた話よりもっとひどい。断じて××君を処分するから、絶対に誰にもいうな」──。
わたしたちは胸のうちで拍手したが、いつまで経っても処分はされず、課長は△△の土地に家を建てた。いま考えると分かるが、部長が課長を処分すれば監督責任を問われる。そんな簡単なことが、みんな二十代、三十代の若い意匠課員には想像できなかったのだ。
わたしは大阪府の高校教員採用試験に受かるまで四年も辛抱して、ダイエーを辞めた。その後、ダイエー建設本部はダイエーと業務提携した『第一建設工業』という二部上場の建設会社に移管され、件(くだん)の建設部長は社長になって『イチケン・中興の祖』と称されるほどの辣腕(らつわん)をふるった──。
盟友、藤原伊織と知り合った二十五年前、わたしはこの顛末(てんまつ)をモデルにした短編小説を書いた。いおりんはその小説を読んで、「経済小説も書けるね」といったが、わたしの経済小説はその一作だけだ。
※週刊朝日 2020年6月19日号