続く2006年のドイツ大会では、「史上最強」、「黄金の中盤」と言われたジーコジャパンの中で、“ドラゴン”久保竜彦が最終メンバー漏れしたことが話題となった。強烈な左足を武器に日本人離れしたダイナミックなプレーで、ジーコ体制で代表戦18試合に出場してチーム最多の11得点を奪った世界規格のストライカーだったが、慢性的な腰痛や足首痛の影響もあり、最後はジーコ監督が「タカハラ、オオグロ、ヤナギサワ、タマダ」に続いて「マキ」と発表。久保は2002年も候補に挙がっており、2大会連続での落選となった。
そのドイツ大会では、背番号10を背負った中村俊輔が、期待に応えることができなかった。2004年アジア杯ではMVPに選ばれ、その後のW杯予選でも“違い”を見せる活躍で評価を高めたが、迎えたW杯本大会では発熱で体調を崩した影響もあって調子が上がらず。初戦で1点を決めたが、そのオーストラリア戦も含め、続くクロアチア戦、ブラジル戦と平凡な出来に終わった。
その中村俊輔同様に、豊かな才能を持ち、大きな期待を背負いながらもW杯の舞台で輝くことができなかった選手として、香川真司の名前が挙がる。2010年の南アフリカ大会では、メンバー入りを有力視する報道もあった中で選考漏れ。サポートメンバーとして現地入りして紅白戦ではキレキレの動きを見せていたというが、チームがベスト16に進出した中でユニフォームを着てピッチに入ることは叶わなかった。
そこからドルトムントで大活躍し、マンチェスター・Uへ移籍して迎えた2014年のブラジル大会では、ザッケローニ監督から背番号10を与えられたが、初戦のコートジボワール戦はシュートを1本も打てずに後半途中で交代。第2戦のギリシャ戦では先発から外れ、先発復帰したコロンビア戦でも精彩を欠いてチームは大敗。海外紙が大会ワーストイレブンに選出するなど、期待されたパフォーマンスを見せることはできなかった。