もちろん、アメリカの本土で暮らしていた日本人にも野茂は大きな影響を与えた。

 1993年から父親の仕事の都合でアメリカのオハイオ州に移住した牧野唯さん(39歳・仮名)もその一人だ。当時、中学校のクラブチームで野球をしていた牧野さんだが、日本人で、かつ投手も務めているということもあって、野茂に関するエピソードで記憶に残るものは多いという。

 その中で印象深い話として思い出すのは、野茂がオールスターの先発を任された日の話だ。1995年7月11日、日本でも野茂が大役を任されるということで、大騒ぎとなったが、丁度その日、牧野さんも所属するクラブチームの重要な試合で先発投手に指名されたのだ。

「どうやら、自分たちの試合でも日本人が先発するらしい……」

 相手チームに牧野さんが先発をするという情報がどこからか漏れたようで、試合前に投球練習をしている際には、「ノモ!ノモ!」と対戦相手の選手たちからの“いじり”にあった経験を話してくれた。

 当然、その試合の相手選手たちだけではなく、自分と近しいアメリカ人たちからも日本人ということで、野茂に関してのエピソードは少なくない。野球好きの友人や学校の教師からは「ノモは凄い投手だな。日本でも活躍していたのか?」と聞かれたことは数知れないという。

「現地のアメリカ人からすると、東洋人の日本人が活躍する姿ももちろん珍しかったようですけど、それ以上に『トルネード投法』が衝撃的だったらしく、よく野茂のフォームのマネを目の前で見せられました(笑)」

 牧野さんが語るように、アメリカでも野茂は一大旋風を巻き起こしていた。

 現地では、その頃ベースボールカードが流行っており、価値の高かった野茂のルーキーカードを引き当てたアメリカ人の友人が狂喜乱舞している様子は、いまだに記憶に残っているという。

 もちろん牧野さんのご両親を含む、日本人コミュニティでも野茂は日本人として大きな誇りとなっていた。野茂が1995年のプレーオフ、レッズとの対戦で地元のオハイオに来た際には、多くの日本人家族が野茂を見るために球場に足を運んで声援を送った。

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野茂とイチローは米国でも“別格”