タレントでエッセイストの小島慶子さんが「AERA」で連載する「幸複のススメ!」をお届けします。多くの原稿を抱え、夫と息子たちが住むオーストラリアと、仕事のある日本とを往復する小島さん。日々の暮らしの中から生まれる思いを綴ります。
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満員電車に乗らなくても仕事ができるとわかった今、改めて通勤の理不尽さを感じている人も多いでしょう。
私の10代は、毎朝夕の電車の痴漢との闘いでした。それが日常なのだと諦めながら。この「苦痛と怒りと諦め」は、何十年も日本の空気をつくってきたのではないかと思います。今も痴漢についてツイートすると、4桁、5桁のリツイートやいいね、何百というリプライがつく。それだけ被害者が多く、被害女性の怒りを男性全体への非難と捉えて攻撃する男性も多いのです。
被害者をたたくセカンドレイプの根底には、女性蔑視、女性嫌悪があります。リプライから感じるのは男性の筋違いの被害感情です。おそらく身近な女性(母親や配偶者など)や世間(学校、会社、社会そのもの)に対する怒りと恨みを、ネットの女性いじめで発散しているのではないか。
「男は仕事、女は家事育児」と性別で生き方が決められた社会では、男性は長時間労働を強いられ年収肩書で評価され、女性は家事育児介護を一手に負わされます。密室育児で母子は行き詰まり、親は男児に高学歴と出世を期待する。雇用や所得の男女格差が大きいと、配偶者に対する女性からの経済的な要求が高まります。つまり育児や結婚を通じて、女性は男尊女卑や性別役割分業を強化する役回りを負わされてきたとも言えます。そして男性は家父長制的な価値観が残る社会への怒りや恨みを、その再生産を担わされている女性たちを責めることで発散する、という構図です。
男性の被害感情の裏には「社会は変えられない」という深い諦めがうかがえます。#MeToo、気候危機デモ、検察庁法改正反対Twitterデモなど、ここ数年、声を上げ行動する女性たちが目立ちます。家庭や学校や会社で男性にすり込まれた恐れと諦めが、社会の変化を阻む要因であることを感じずにはいられません。
※AERA 2020年7月6日号