当初、野球チームが採用していた帽子にはいろいろな形があった。もともとは社会慣習で帽子をかぶっていたので、山高帽やクルーハットなど、選手やチームごとに、それぞれにとって身近な、あらゆる種類の帽子が使われた。ベースボール創成期の1850年代、最も流行(はや)っていた野球帽のスタイルは、キャスケット型の帽子だった。ハンチングと呼ばれる帽子があるが、あれのパネル部分をもう少しふっくらさせた感じのウール製の帽子で、第1号のプロ・チームであるシンシナティ・レッドストッキングスが、このタイプの帽子を採用していた。

 この帽子は、のちにアメリカでは新聞売りの少年たちが愛用するようになってニュースボーイ・キャップと呼ばれ、世界的に労働者が愛用する帽子となる。代表的な例としてはロシア革命の指導者だったウラジーミル・レーニンが愛用していたのが有名だ。さらにその帽子はやがて1960年代に中国の毛沢東や紅衛兵が愛用した人民帽の原型となった。

 キャスケット以外では競馬騎手の帽子をベースにしたジョッキー型も人気だった。この帽子には軍帽や日本の学生帽などに見られるアゴ紐がついていた。

 さらに1870年代あたりから流行りだしたのがピルボックス型の野球帽だ。その名の通りピルボックス(薬箱)のような円筒形の帽子だが、アメリカが建国200年を迎えた1976年、MLBナショナル・リーグの5球団が歴史に敬意を表して採用し、そのままピッツバーグ・パイレーツがレギュラーの帽子として86年まで使用していたので、ご記憶の方もいるかもしれない。

 ピルボックス型帽子の誕生のきっかけは、1861年に勃発し65年まで続いた南北戦争だ。この戦争で、ニューヨークなど一部で行われていた野球は、全国に普及する。戦地でゲームが行われ、戦後、兵士が故郷に戻ることで、アメリカの津々浦々に広がった。そして兵士の軍帽から生まれたのがピルボックス型野球帽だった。

 日本への野球伝来は1872年。東京・一ツ橋の第一大学区第一番中学(のちの開成学校、東京大学の前身)で、数学や英語を教えていた教師のホーレス・ウィルソンが生徒に手ほどきしたのが始まりとされる。

 現在のような野球帽が普及するのは、日米ともに19世紀末の1890年代に入ってからだ。当初はツバが短く、かぶる部分も浅かった。戦前の1930年代から読売巨人軍の帽子を製作していた八木下帽子店の創業者八木下秀吉は、「みかんを横から切ったような形」と称した。

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