人生の終わりにどんな本を読むか――。定収入を得るために、ごみ清掃員として働く芸人のマシンガンズ滝沢さんは、「最後の読書」に中上健二の『岬』を読むだろうと語る。
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ごみ清掃を8年間やっている。
芸人でごはんが食べれなくなったからだ。仕方がないのでアルバイトでもしようかと思ったら、仕事が見つからなかった。
その時、36歳だった。
35歳を過ぎるとアルバイトすら見つからないということを僕は知らなかった。9社連続で落とされた。僕は世の中を舐めていた。これまでか……ここまで芸人を何とか続けてきたが、いよいよ廃業するしかないな、と覚悟を決めた時に、たまたま出会した友人にごみ清掃員を紹介された。
助かった。
しかし喉もと過ぎれば~とよく言われるもので、僕も例外ではなかった。
助かったー、有り難いという気持ちを忘れて、今度は芸人だけで飯を食えたらいいのになー、と舌の根の乾かぬうちにそんなことを言い出すので性根が腐っている。いつまで芸人以外の仕事を続けるのだろうと思いながら、従事している中、僕を支えたのは中上健次作の『岬』だった。
この作品の一節に「体を一日動かしている。地面に坐り込み、煙草を吸う。飯を食う。日が、熱い。風が、汗にまみれた体に心地よい。何も考えない」という文章がある。
僕はいつも制服のズボンの後ろ左ポケットに忍ばせ、ごみを回収するために屈めばお尻に文庫の形を感じ続けていた。
気持ちがめげれば昼休憩にその文章を読み、自分を励まし、午後の作業に取り掛かる。
聞けば、中上健次さんも空港で働きながら小説を書いていたという。自分が中上健次になったつもりでごみ回収をすれば、ヒロイズム的な気分になり、足が動く。肉体労働は体力的限界以外は気持ち次第でその日を乗り越えることが出来る。
──何も考えない──
そこが僕のお気に入りだった。僕はごみ清掃に限らず、何か嫌なことがあるとその文章を読み返す。
そうすることによって何も考えずに生きることだけに専念しているような気がして、迷いがなくなるのだ。
きっと僕は最後の読書もこの本、いやこの文章を読むことになるだろう。
最後の読書ということだから、恐らく『死』を意識している。未知の経験だ。未知は恐怖だ。その時、僕はやはり何も考えないで生きたいと思い、この一節を読むような気がする。
※週刊朝日 2020年7月10日号