その上、すごく深いのだ。私がやられたのは、刑務所の中のヒョンビン。重みを感じさせる牢名主から「なんで組に入った?」と尋ねられ、静かにこう答える。
「やるせなくなったんです。理由はそれだと思います」
ヒョンビンの寂しさがあふれ、最終話を見終えても「やるせない」が心に居続けた。あまりに何度もよみがえるので「やるせない」を辞書で引いたら、「心のやりどころがない。思いを晴らす方法がない」とあった。ヒョンビーン。
ちなみに映画も、尾を引きがちだ。動画配信で見られる「レイトオータム」(10年)以後7作をコンプリートしたが、能弁は「レイトオータム」、「スウィンダラーズ」(17年)、「王宮の夜鬼」(18年)だけ。あとは寡黙。しかも「レイトオータム」はシアトルが舞台で、ヒョンビンが話すのは上手になりたてみたいな英語。その能弁さも含めすごく切ない映画で、ヒョンビン沼ってば、油断も隙もない。
ここで、ちょっとした気づきを書くのだが、人を内省的にするのがヒョンビン沼、またはヒョンビンだと思う。「チング」の「やるせない」がなぜ心に残ったのか。それを思うと、コロナ禍に行き着く。先行きの不安感がいつまでも払拭されない日々に、ドラマとそこに生きるヒョンビンが忍びこんでくる。生きるとは何か。「チング」に限らず、そのことを考えさせられる。
主演第1作「アイルランド」もそうだ。ヒョンビン以下4人の若者の、短くまとめるなら「ダブル不倫」の話だが、最終回で描かれるのがそれぞれのインナーチャイルド。触発され、自分の過去と向き合わされる。私の不安や不満はどこから来たのかと、しばし考え込んだ。
などと書くと、「重い?」と敬遠する方もいるかもしれないが、ノーノー。テーマを軽々と乗り越える、若きヒョンビンの可愛さがある。ツンツン髪でまだすごく細く、妻に振り回される姿が不憫で愛おしい。やはり「顔天才」、双葉より芳し。(コラムニスト・矢部万紀子)
※AERA 2020年8月10日-17日合併号より抜粋