昭和・平成を代表する俳優、渡哲也(本名・渡瀬道彦)さんが肺炎のため、亡くなった。78歳だった。渡さんが幼少期を過ごしたのは、兵庫県の淡路島。
【秘蔵写真】渡哲也さんと渡瀬恒彦さんの若かりし日、淡路島で撮影した
現在の現淡路市岩屋だった。父が「渡瀬洋装」という洋品店を経営。弟で渡さんと同じく、人気俳優だった、渡瀬恒彦さんともに育った。渡さんの幼なじみで親しかった吉田征夫さん(82)がこう話す。
「みっちゃん(渡さんの本名・道彦)が亡くなったと聞き、なんでそんな早くにと悲しくてなりませんわ。私とうちの弟、みっちゃんで淡路島の海で一緒に泳ぎ、山を走り回り、遊んだ思い出が昨日のようによみがえりますね」
吉田さんの弟、廣田保男さん(故人)が渡さんと同級生だったこともあって、子供のころからずっと渡さんと親しかった。
「みっちゃんは、子供のころから飛びぬけて、男前やった。写真をみてもわかる通り、背も高くて弟の恒彦より、みっちゃんのほうがかっこうよかったわ。みっちゃんのお父さん、お母さんも容姿端麗で、その血を引いたのかな」(吉田さん)
渡さんが昭和29年3月に卒業した、石屋小学校の卒業アルバムをみながら語る吉田さん(写真)。渡さんは小学校を卒業後、淡路島を離れて、兵庫県の三田学園中学校から同高校、青山学院大学に進んだ。そして、日活に入り俳優の道に進み、大スターへと駆け上がった。
「みっちゃんの実家の洋装店は、地元では有名な流行の先端をいくようなお店。お父さんは教育熱心で厳しい人だった。最初は俳優の道に進むことを反対していたが、みっちゃんは固い信念ではねのけた」(同前)
有名になっても、渡さんが故郷を思う気持ちは変わらず、毎年のように先祖の墓参りに帰省していたという。渡さんが故郷を大事にしていた思いが伝わる一枚の写真がある。吉田さんが大事に持っていたものだ。
1965年に石原裕次郎主演、渡さんが弟分で出演した「赤い谷間の決闘」という日活映画。その大きな看板の前で、渡さんと吉田さんが一緒に写っている。