家の話に戻すと、その後、俺は相撲部屋に入って、26歳でプロレスに転向するまでずっと相撲部屋住まいだ。最近は自分でマンションやアパートを借りて住む力士も多いらしいけど、時代が変わったもんだと思うよ。俺がいた二所ノ関部屋は結婚するまで部屋を出ちゃいけなかったけど、よかったとしても一人暮らしはしなかっただろうね。俺は部屋にいて若い衆をこき使ったり、だべったりしてる方が気が楽でよかったからね。
プロレスに転向して、アメリカ修業に行く前は(ジャイアント)馬場さんが当時住んでいた赤坂にある部屋に住まわせてもらった。その部屋は力道山が経営していた「リキアパート」の一室で、馬場さんが物置代わりにしていた2DKの部屋を貸してくれて、そこに住んでいたんだけど、馬場さんが住んでいた部屋はもともと力道山関が住んでいたすごくいい部屋でフロアの廊下の突き当りにあって、玄関ののぞき穴から廊下が全部見えるうようになっている。力道山関も心配性だったらしく、変な奴が来ないか見張ってたというし、馬場さんも俺が夜中に帰ってくると「あの野郎、また遊んで帰ってきやがって」って見張ってたんじゃないかな(笑)。
その後、アメリカのテキサスへプロレス修行に行くんだけど、そこで住んだのは20畳くらいのアパート。一カ月大体100~150ドルの家賃なんだけど、面白いのが水道光熱費がすべて込みだってところだ。いくら使っても、100~150ドルの家賃は変わらない。当時としてもずいぶん安いだろう? だってテキサスの田舎だもん。周囲は牧草地だらけで、牛が草食ってて、西部劇で見るようなタンブルウィードがころころ転がってるような土地だからね。そんな場所だから、つい人恋しくなってね。コインランドリーに行くと、現地の人も来るじゃない。洗濯をしている間、人が来るのをながめては和んでいたよ。特に会話はしていない。だって、話しかけたところで俺は日本人だから「ストレンジャー!(よそ者)」とか「リメンバー・パールハーバー」って、当時でもよく言われていたからね。それでも人が恋しくて行くわけだ。