50年に及ぶ格闘人生を終え、ようやく手にした「何もしない毎日」に喜んでいたのも束の間、突然患った大病を乗り越えてカムバックした天龍源一郎さん。2月2日に迎えた70歳という節目の年に、いま天龍さんが伝えたいことは? 今回は「家と住まい」をテーマに、飄々と明るくつれづれに語ります。
* * *
福井の実家は俺が5歳の頃、親父が24~5歳で建てたもので、周りの家と比べても大きくて立派だったよ。ただ、住み始めた頃は天井板や桟がちゃんとできていなくて、住みながら完成していく過程を見てたことが思い出に残っている。親父も家督を継いだばかりで、近所の人にボンクラ息子だと思われたくない一心から立派な家を建てたんだと思うよ。ただ未完成の部分も多くて、足りない部分があると裏にある嶋田家所有の山から木材を切り出して、運ぶのを手伝わされたもんだよ。日曜は学校が休みでゆっくりしていると、親父が「お~い、山に行くぞ」って言って、木材を切り出して、ふもとまで引っ張って運ぶんだ。あれは今思い返しても大変だった! まあ、当時は農家の長男はいずれ家督を継ぐから、自分の家の山の敷地とか、田んぼの広さを身をもって覚えさせれるのが普通だったんだね。
そうやって苦労して手伝った家も俺が相撲に進んだもんだから、弟と飲むと今でも「あれだけこき使われたのはなんだったんだ!」っていう話をするけど、弟も「兄貴が勝手に相撲に行ったから、俺がしょうがなく継いだんだ」って言い分があって、俺も「親父に言われるがまま、しょうがなく相撲に行ったんじゃねえか」って。でも親父も地元の有力者に乗せられて息子を相撲部屋にやったわけで、みんな言い分がある(笑)。当時は全国にそうやって相撲部屋に若者を送り込む有力者みたいなのがいたもんで、それに騙されて相撲に入ったっていうのはたくさんいたよ。「大鵬関や柏戸関に顔がきく、知り合いだ」って偉そうなことを言ってね。大鵬関や柏戸関は当時大スターだ。それで田舎の人はコロっと騙されちゃうんだよね。なんのことはない、調子のいいこと言ってるただの山師だったりするんだが……。