浦和市立の打者は「低打率魂を見せてこい」に奮起 (c)朝日新聞社
浦和市立の打者は「低打率魂を見せてこい」に奮起 (c)朝日新聞社
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 甲子園初出場でいきなりベスト4入りし、“さわやか旋風”を巻き起こしたのが、1988年の浦和市立だ。

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 甲子園に出たこと自体が“奇跡”だった。同年の埼玉は、高校通算56本塁打の山口幸司の大宮東を筆頭に、川口工、埼玉栄などの実力校がひしめき合い、ノーシードの無印校・浦和市立は「1回ぐらいは勝ちたい」が当初の目標だった。

 初戦でいきなり第7シードの所沢北と当たったが、「負けてもともと」の伸び伸びプレーが3対1の勝利につながった。

 エース・星野豊も、丁寧に低めを突いて打たせて取る投球術で、5回戦で川越工、準々決勝で埼玉栄を連続完封。準決勝の川口工戦では、打線が奮起して1対4の劣勢から逆転勝ち。決勝でも市立川口を7対1と圧倒し、夢にも思わなかった甲子園切符を手にした。

 チーム打率2割5分9厘は、出場49校中最低ながら、甲子園でも「無欲」「挑戦者」を合言葉に、神がかり的な快進撃が続く。

 初戦の佐賀商戦、中村三四監督が「低打率魂を見せてこい」とユーモアたっぷりにハッパをかけると、なんと15安打の5得点で甲子園初勝利。「100点取られるかも」(そう手克尚主将)と思った2回戦の常総学院戦でも二桁安打を記録し、6対2で快勝。3回戦の宇都宮学園戦も、星野の投打にわたる活躍で延長10回、2対1と競り勝った。

 さらに準々決勝の宇部商戦では、同点の9回裏1死二、三塁のピンチで、中村監督は「一番楽しい場面。思い切って勝負しろ」と指示する。直後、星野は4、5番を投ゴロ、二ゴロに仕留め、延長11回の末、7対3と勝ち上がった。

 準決勝の広島商戦も、0対2の6回2死から内野安打を足場に連続長打で同点に追いつく粘りを見せたが、その裏、巧妙なバント攻めで2点を勝ち越され、“ミラクルの夏”も、ついに幕となった。

 たった一度の甲子園で優勝し、現在も勝率10割をキープしているのが、65年の三池工だ。チームを率いた原貢監督は、言わずと知れた巨人・原辰徳監督の父である。

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練習の大半は打撃練習!?