そして、ライアンの凄さ(?)はこれだけでは終わらない。死球を与え、これだけ暴れ回ったのにも関わらず、なぜかベンチュラだけが退場となり、ライアンはこの後もマウンドで投球を続けたのだ。しかも、乱闘後にギアを上げたライアンは、その後の5回1/3を無安打に抑え、最終的に7回を投げてキャリア322勝目を手にしている。
最後まで若手よりも“パワフル”だったライアンは、9月22日のマリナーズ戦をもって現役を引退。キャリアの晩年まで剛腕を貫いたライアンは、最後の投球で98マイル(約158キロ)を計時したというのも伝説として残っている。その他にもピッチャー返しの打球が顔面に直撃し、唇から大量に出血しながら投げ続けたことも米国の野球ファンなら誰もが知っているエピソードだ。
このようにライアンは、とにかくタフさが際立っていた。だが、これは生まれ持った能力だけで保たれていたわけではない。日本でも有名なライアンの著書「ピッチャーズ・バイブル」の中で自身が語っているように、当時は決してスタンダードではなかった徹底した健康管理とトレーニング方法があったからこそ長期にわたって現役を続けることが可能となった。剛腕であったと同時に理論派でもあったのだ。
この著書は、ライアン引退後にも多くのピッチャーたちに参考とされてきた。先日、ノーヒットノーランを達成した「和製ノーラン・ライアン」ことヤクルト小川泰弘も、この本で得た知識から現在のフォームを生み出したのは有名である。
今では「肩は消耗品」という考えから、幼少期から球数制限などを設けている米国の野球界ではあるが、そんな考えを否定するかのように剛速球を投げ続けたライアンの凄さは今も色あせない。今後は2度と誕生することはないであろう“伝説の剛腕”ノーラン・ライアンの名前は、時代を追うごとにその凄さが際立っていくことになるだろう。