精神保健福祉士として診療所に勤める綾子(仮名・28歳)の仕事は、主に「患者の手助け」。つまり「医療行為以外ならなんでもする」という内容だ。「なんでもする」と書くのは簡単だけれど、その仕事は壮絶を極めていた。

「常に『死』というものがそこにある仕事やな。しかもそのほとんどが自殺やねん。訪問したら患者さんが首をつってたこともあったなあ……」

 患者の家を掃除するために訪問し、玄関を開けると、患者が包丁を持って立っていたこともある。彼は覚せい剤中毒から精神病に悪化した元暴力団の男性だった。うつむいていて表情はよくわからないが、太い腕の先の包丁の刃は、確実に自分に向けられている。背筋に汗が流れたが、不思議と「怖い」という感情はわいてこなかったと綾子は言う。

「私の仕事で一番大事なことは、患者さんの話を聞くこと。その患者さんからも、『幻聴に悩まされている』という相談をさんざん受けていたから、冷静でいられたんやと思う。おそらく彼は、私に殺されるか攻撃されるような幻聴が聞こえたんじゃないかな。患者さんが攻撃するときは自分を守ろうとしていることが多いから」

 毎日、幻聴や幻覚の恐ろしさを語る患者を相手にしている綾子は、

「彼らの住む世界に比べれば、包丁くらい平気や」

 と笑う。

「包丁までいかんでも、玄関先で『帰れ!』と怒鳴られることはしょっちゅう。『死ね』とか『殺す』では、もう傷つかへんよ」

 綾子が今年で6年目になるこの仕事をやろうと決めたのは、短大生のときだ。「なんとなく」進学した社会福祉系の短大は、ちょうど彼女が入学した2001年から「身体」「知的」「介護」に加え、新たに「精神」という学科を設けたばかりだった。

「他の学科はどんな人を相手にするのかだいたい想像できるけど、『精神』っていうのはなんやろう? 『精神保健福祉士』って、どんな仕事なんやろ?」

 まったくイメージできないことで、俄然、興味がわいた綾子は「精神学科」を選択した。そして、実習に行った精神科の診療所で、衝撃を受ける。

 そこには、統合失調症、アスペルガー症候群、発達障害、鬱病、薬物中毒など、さまざまな症状に苦しむ10代から70代の患者がいた。

 いきなり叫びだす人、何を言っているのかわからない人、人に「うるさい!」と注意をしながら大声で話す人などなど......。綾子は診療所に訪れる患者たちを見て素直にこう思った。

「これだけいろんな人がいるんやなあ。みんな違う世界で生きてるみたいや」

 患者の体調は目まぐるしく変わる。先週、笑顔で別れた患者が、なぜか今日はにらんでくる。昨日怒って帰った人が、今日は自分の体調を気遣ってくれる。

 綾子はそんな患者の変化や行動を観察するのが好きだった。それは、

「どんな人間がいてもいい」

 という自分の願いにも近い理念を再確認することができたからだ。

 本格的に精神保健福祉士を目指すことに決めた綾子は、実習先の診療所でアルバイトをしながら勉強を続け、卒業後なんとか資格を得た後、晴れてその診療所で精神病患者専門のソーシャルワーカーとして正式に採用された。

「働いてみて初めてわかることばかりだった。学校の勉強が無意味だったとまでは思わないけど、資格を取っても実態は何もわからんことを知った」

 綾子の一日は朝9時のミーティングから始まる。その日の仕事内容を確認すると、所内のデイケアフロアにやってくる患者とマージャンやカラオケなどをして遊び、相談を必要とする患者や家族が来所すれば、相談室に入って相談を受ける。相談の内容は、保険の制度説明から日常の生活までさまざまだ。

 その合間を縫って、患者の家など訪問先へ出向く。「掃除ができない」と言われれば掃除にいき、「買い物ができない」と言われれば買い出しに走る。気づいたら夜になっているなんて日はしょっちゅうあった。週に2日は時計を見て慌てる。診療所がナイトケアとしてフロアを患者に開放しているため、夜もそこへ戻らねばならないからだ。

 そんな生活が「つらい」と、途中で辞めてしまう人は少なくない。なかには患者の話に感情移入しすぎて、働く側が精神病になってしまうケースも見た。

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