◆家族にも拒まれ行き場ない患者◆
先進国の中でも特に精神病患者へのケアが遅れていた日本で、精神保健福祉士という資格が誕生したのは1997年のことだ。
その仕事の内容は多種多様で、病院や役所の窓口で患者の対応をする行政サービスもあれば、福祉施設や作業所で精神病患者たちの生活を支援する仕事もある。
給料は職場や地域によってバラバラ。綾子いわく、個人のクリニックや作業所に比べ、行政サービスに就いている精神保健福祉士は比較的給料が高いそうだ。それでも同じ国家資格である看護師と比べると安い。
綾子の初任給は15万円だった。そこからいろいろと引かれ、手取りは12万と少し。日当でみると数千円だ。
現在、精神保健福祉士の登録者数は約4万8千人。近年、鬱病の増加など精神病の患者数は増えているものの、福祉士は、給料格差に加え、精神的・肉体的につらい仕事のため、慢性的な人手不足となっている。
綾子は定期的に訪問する患者を含め、常に10人ほどの患者を担当していた。
息つく暇もない仕事の中で、綾子が「一番やっかい」と言うのは入院の交渉だ。入院治療が必要な患者が出ると、受け入れてくれる病院を探す。そのとき必ず、
「自傷行為はありますか?」
と尋ねられる。心の中で、
〈自殺するかもしれんから入院が必要なんや!〉
と突っ込みつつ、
「はい。あります」
と答えると、相手の声が変わる。
「いやあ、今、ベッドに空きがないんですわ~」
病院としてはリスクを減らしたいのだろうが、行き場のない患者を抱える側としては怒りもわく。
〈ほな、最初からそう言えや! 嘘がみえみえやわ〉
と、出せない言葉をのみこんで、綾子はまた次の病院に電話をかける。
「見つかるまで探さなあかんねんけど、なかなか受け入れてもらえへん。入院施設があるとこやったら、ここらで電話したことない病院はないと思う」
そんな現実の中で、厚生労働省は精神科のベッド数削減に取り組んでいる。精神病患者への訪問支援を本格的に導入するという建前のもとで進められているのだが、綾子に実情を聞くと、そんな簡単な話ではないことがよくわかる。
「確かに世界的に精神科のベッド数は減ってる。日本もそれに倣って、長期入院だけではなく、地域全体で患者を支えるという方向はいいと思う。でも、作業所も足りない、ケアする人も少ないというこの現状で、先にベッド数だけ減らしてどうするんや」
憤りがわくのは当然だろう。病院だけではない。綾子はこれまで何度も患者を拒む家族を見てきたのだ。
精神科の患者は、他の疾病よりも家族と疎遠になっている割合が高い。そのために、適切な治療が受けられない患者がいる。
医師によって入院が必要と判断された場合、通常はまず、本人か家族の同意を得ねばならない。しかし、入院を要するほど病状が悪化している患者を説得し、同意を得ることは難しい。精神科医や警察などの同意で強制的に入院させることもできるが、患者の人権を考えると、できれば避けたい。運よく入院先が見つかっても、家族と連絡が取れないまま、病状が悪化していくケースもある。
◆患者の死に泣き患者に救われる◆
そんな苦労も、
「仕事と割り切って頑張るしかないわ」
と言う綾子が、唯一落ち込むときがある。患者が死んだときだ。
「私は患者とは線を引いて仕事をしてるほうだと思う。でも、普段接している人が亡くなったときは本当につらい。ついこの前まで一緒にカラオケしてた人が、なんで今日飛び降りたんやろ。なんで一緒に笑ってた人が今、目の前で首つってるんやろって。かかわった人が死んでいく悲しみは、この仕事をしてから、嫌というほど味わった」
亡くなった患者を前に、彼女には悲しみにくれる時間さえない。家族と疎遠になっている患者は、葬儀の手配や遺体の処理まで精神保健福祉士が担うことが多いのだ。綾子は去年だけで4人の患者の葬儀を手配したという。
心が折れそうになるとき、綾子を救ってくれるのは「患者さん」だった。
「Aさん、最近、いろんな声が聞こえてしんどいんやろ? 入院したらどう?」
数年前の春、綾子は入院を拒む統合失調症の患者Aさんを説得していた。
「入院したほうがAさんも楽になると思うけどな」
「嫌や! ぜったい入院せん! 嫌や! 嫌や!」
何を言っても聞かないAさん。綾子は思わず、
「ドライブ行こっか」
と誘った。
言った自分も驚いたが、Aさんはもっと驚いたようだ。目を丸くしながら綾子の車に乗り込んできた。診療所を出て車を走らせると、開け放った窓から春のにおいが入ってくる。
「Aさん、気持ちいいなあ」
運転しながら助手席に向けて声をかけた綾子に、Aさんはボソッと、
「入院してもええよ」
と言った。
綾子はこう振り返る。
「そのときは、たまたまうまくいったからよく覚えてる。この仕事は、人が相手やから正解はないねん。統合失調症の人は気い遣いが多いから、Aさんも私に気を遣ったんかもしれんな」
綾子に、「辞めたくなったことない?」と聞くと、
「ないなあ。やっぱり元気になっていくのを見るとうれしいし、それに私、しょっちゅう患者さんに癒やしてもらってんねん。下向いてると、『疲れてんの? 無理しんときや』って声かけてくれる人もいる。みんな、めっちゃ優しいんやから」
と、誇らしげに目尻を下げた。 (本誌・小宮山明希)
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京都出身の「おきばり(頑張り)」記者(28)が、「これ、どないやねん!」と思った事件やできごとをシリーズでお届けします