ビーチバレーへの注目度を高めることに貢献した浅尾美和 (c)朝日新聞社
ビーチバレーへの注目度を高めることに貢献した浅尾美和 (c)朝日新聞社
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 メディアから見向きもされなかったマイナースポーツが才色兼備の美女アスリートの登場で、いきなりブレイク。スポーツの世界でたびたび見かけるシーンだが、ビーチバレーボールはその代表格に入るかもしれない。なかなか日の目が当たらず、世間に知られることがなかったビーチバレーボールを世に押し出したビーチの女神たちをクローズアップしてみたい。

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 ビーチバレーボールは1996年、オリンピックの正式競技に導入された。しかし、華々しい要素があるにもかかわらず、なかなかスポットライトが当たることはなかった。この雰囲気を一転させたのは1995年ワールドカップバレーで一躍ヒロインに躍り出た佐伯美香の転向劇だ。打ってよし、守ってよしの日本を代表する実力派プレーヤーは1997年に転向。均整のとれたボディを自在にコントロールし、砂の上でもパワフルなプレーを展開した。瞬く間に世界のトップへ駆け上がった佐伯は、2000年シドニーオリンピックに出場し史上初の4位入賞を果たした。

 佐伯引退後、砂浜のヴィーナスとして躍動する輝きを見せたのが、2002年に転向した浦田聖子だ。女性も憧れるメリハリのある抜群のプロポーションが彼女の売りだった。スポーツメーカーの広告塔を務め、シーズンごとにテーマをあしらったデザイン水着を考案し着用。メディアへの話題づくりを懸命に図っていた姿が印象的だった。

 水着姿で砂の上を激しく動き、ボールを追う。そんなダイナミックなビーチバレーの魅力を世間一般に広めたのが、『ビーチの妖精』としてブレイクした浅尾美和である。タレント顔負けの鼻筋の通ったパッチリ目。それはまさに万人受けする美女の顔立ちと言っていいだろう。ブレイクのきっかけとなったのは、スポーツバラエティ番組。スタジオに砂を敷き、水着姿でハツラツとプレーする姿は視聴者の心を鷲づかみにした。

 写真集やDVDはスポーツ選手として異例の売り上げを記録。試合会場には彼女を一目見ようというファンが一斉に訪れ、人気のピークだった2007年の観客数は前年の2.5倍。浅尾の人気によってスタンド席が初めて設置されたほど、経済効果をもたらした。2012年に引退するまでの8年間、目標であったオリンピック出場には届かなかったが、その功績は誰もが認めるところだ。

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浅尾の後も周期的に現れる「ビーチの妖精」