総武鉄道は1909(明治42)年に国鉄総武本線となり、31(昭和6)年に両国橋駅が両国に改称。隅田川に架かる隅田川橋梁は32(昭和7年)年に竣工し、翌33年から総武本線と中央本線との直通運転がはじめられている。この開業によって、旅客・貨物ともに盛況を迎えていた両国駅は、隅田川以西と房総方面とを結ぶ乗り換え駅としても機能するようになったわけだ。一方で、優等列車の一部は新宿発着も設定され両国にも停車していたが、のちに通過扱いとなっている。
現在、房総方面の主要路線は総武本線と成田線、外房線と内房線の4系統からなっている。この路線網は1933(昭和8)までに成立しており、両国はそのターミナル駅として優等列車だけでなく普通列車も発着していた。
1965年4月ダイヤを見ると、定期列車は1日13本で、うち10本が準急列車となっている。意外と少ない印象もあるが、これは新宿・両国~千葉間で総武本線の「犬吠」と成田線の「水郷」、外房線の「外房」と内房線の「内房」がそれぞれ併結運転となっていたこともある。当時の総武本線は両国~千葉間といえども複々線化はされておらず、線路容量との兼合いもあったのかもしれない。一方、当時の房総各線は夏休み時期に海水浴客対応の「夏ダイヤ」が組まれ、両国発の臨時列車も多数設定されていた。
■房総各線の電化を期に衰退が進む……
両国駅にとって大きな転機となったのは総武本線・千葉~錦糸町間の複々線化および房総各線の電化であった。新設された快速線は両国駅の錦糸町側で地下に入るが、その工事のため貨物用地が撤去されることとなり、1970(昭和45)年に貨物の取扱いが廃止されている。
複々線化は1972(昭和47)年7月に完成。同年の外房線につづき74年に総武本線の佐倉~銚子間と成田線の成田~松岸間が電化したことによって房総主要4線の電化が達成された。しかし、総武本線のターミナルは東京駅の地下ホームとなり、電化後の各線には特急が新設されたものの、両国発着特急は設定されなかったのである。76年7月ダイヤでは急行のみが10本という状態で、優等列車の本数は65年4月と変わっていないように見えるが、これは当時の急行用車両(165系・163系)がATC(保安システム)の関係で東京地下駅に乗り入れられなかったため両国発着となったと考えられる。輸送の主力が特急に移ったあとの両国の実態であった。