昭和の香りを残す『体育館』。
最新式アリーナのような快適さには欠ける。しかし熱戦が繰り返され、ファンから愛され続けているものばかりだ。
次々と最新の新しい箱もできている。しかし昔ながらの会場には、独特の味や存在感がある。
8月30日、大日本プロレス『LAST BUNTAI~さようなら横浜文体』が開催。横浜文化体育館(=文体)、最後のプロレス興行だった。
文体は62年5月11日に落成した横浜市所有の体育館。老朽化が激しく9月6日で閉鎖・建て替えられ、跡地には2024年度に横浜ユナイテッドアリーナが建設予定。文体隣接地には横浜武道館が完成している。
JR関内駅から徒歩5分ほどの好立地。近くには、横浜スタジアムもあり港までも徒歩圏内という絶好のロケーションにあった。
開館年からプロレスの試合で使用され、同年5月23日の日本プロレス(日プロ)のワールドリーグ戦、力道山vsブラッシー戦は有名。
84年12月12日には全日本・世界最強タッグ決定リーグ優勝決定戦が開催。『鶴龍コンビ』ジャンボ鶴田、天龍源一郎組が初優勝を飾った。また新日本から移籍した長州力が初めて全日本で試合を行った。
また88年8月8日の新日本『スーパー・マンデーナイト・イン・ヨコハマ』は伝説的興行。特にメインのIWGP戦、王者・藤波辰巳vs挑戦者・アントニオ猪木戦は60分時間切れ引き分けの大熱戦。中継ではテレビ朝日からフリーとなっていた古舘伊知郎が1試合のみ復帰したことも話題となった。それ以降、新日本は8月8日に文体で興行開催している。
大日本は95年3月16日の旗揚げ興行で初使用後、ビッグマッチを継続的に開催してきた。2019年には25周年記念大会『SUPER STAR WARRIORS』も行った。
30日の文体メインでは6人タッグマッチが組まれ、未来を担う橋本大地が勝利して締めくくった。
当日はゲストとして88年の主役・藤波辰巳が来場、「僕にとって横浜文化体育館は一つの聖地ですね」と語った。
また地元・横浜出身でアマレス時代から文体を使用してきたの鈴木みのるも参戦。「いつまで古い物にしがみついているんだ。なくなっちまえ、こんなもん!」と文体への想いを“らしく”吐き捨てて去って行った。